pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

正岡子規の差別意識



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『えた村は うき世の外の 春富て』
https://blog.goo.ne.jp/ttutokyo/e/04262bba44f59b9c5bee71d93d3804e9

「 江戸時代、士農工商の下に被差別部落をおく身分制度があったことはよく知られているが、明治維新になり四民平等、解放令があっても差別は、部落の生業としていた職業までをも奪う過酷さだった。その差別を支えていたのが人々の差別意識である。江戸と明治の俳人の俳句からそのことをうかがうことができるので紹介する。

松尾芭蕉
えた村は うき世の外の 春富て 
(えた村は社会外の社会と言われるけれど、そこに住む人達は、物も心も春のように富んで温かいよ。)

     与謝蕪村
穢多村に 消のこりたる 頗狷かな

(『えた村』の人々が祖先の冥福を祈るために使った『頗狷(すこぶけん)=灯眥の火』が、その行事の終わった後も消えずに残っている。『えた村』の人々の信仰心の深さを語っているようである)

     小林一茶
えた寺の 桜まじまじ 咲きにけり
  
(『えた寺』の桜といえども、堂々とりっぱに美しく咲いている)
えた村や 山時鳥 ほととぎす

(貴族たちが風雅に詠むというほととぎすも、えた村でまるで同じに鳴いているではないか)

     正岡子規
鶴の巣や 場所もあろうに えたの家

(世にもめでたい鶴が巣を作ったが、よりによってえたの家なんぞえらばなくてもよいものを……)

 芭蕉、蕪村、一茶など江戸の俳人の温かなまなざしに比べ子規の差別性が際立っていることに、日本の近代の病巣を感じる。」

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「日本の近代の病巣を感じる」
病巣と言えばそうでもあるが、この子規の句は当時の大日本帝国から現代に至るまでの認知の歪みとしての病巣であろう。

廃仏毀釈水戸光圀神道回帰の国学以降、明治新政府による慶應4年の「神仏分離令」によって惹起された。近代国家の洋装で、一枚めくれば狂信的国家神道主義による絶対権力政治へのスタートだった。この廃仏毀釈は民衆の狂暴を新政府に見せつけたであろう。

士農工商(四民)の封建的身分制度が、新政府によって廃止されたが、代わりに皇族・華族・士族・平民の四民を作り上げ、穢多・非人などは「賤民解放令」で一見平等の扱いとなったが「新平民」あるいは「特殊部落」という呼称により残存。大正11年の水平社結成による部落解放運動よりようやく平等への道が開き始めたわけだが、正岡子規など明治人には当然のごとく差別意識は上記の俳句のように滲みでていたのである。

まあ現代に於いても上辺は部落差別は鳴りを潜めているだけである。代わりに隣国への差別意識がまたぞろ蠢いている。

私がこの子規の句 

   鶴の巣や 場所もあろうに えたの家

で言いたいのはそんな子規のこの句のどこが俳句なのかという点である。旧下級士族出の子規がいい気分で見下して悦に入っている光景は思い浮かぶが。



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熊本大学学術リポジトリ『虚子・子規・近代 : 近代思想史の視点から』

子規は「或る景色又は人事を鮫するに最も美なる虚又は極めて感(肥)じたる虚を中心として描けば其景其事自ら活動す可し」として、伸びやかな自分の感動、感性とその表現を大切さを説いた」
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/11692/2/KLaw0116_275-297.pdf

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として子規礼賛をぶっているが、熊本大の著者お二人にお尋ねしたい。この句のどこに「感動」があるのかと。

おびただしい句作をなした正岡子規である。
駄句もたくさんあろう。
しかし駄句だ、で済まされるものではない。
狂暴な時代に生まれ、貧窮病苦のうちに若くして死んだ。

芭蕉、蕪村、一茶など江戸の俳人の温かなまなざしに比べ子規の差別性が際立っていることに、日本の近代の病巣を感じる」

まことに同感である。

古今集を罵倒し国学者よろしく万葉に帰れと叫んだ子規であるがその歌論は貧弱であり、古今集仮名序にはるかに及ばない。いや子規に限らず現代までの歌論も同様である。現代となると前の記事にした岡井隆や子規評論で稼いだエロ俳句師坪内稔典など出てきてしまう。「文芸銃後運動」で大政翼賛会もどきの活躍をしたあの大評論家小林秀雄もまたしかり。


先日、地元のカフェでママが私の隣席にいたおばちゃんを私に紹介した。

「ねえ、この方、正岡子規の俳句がお好きなんですって。句会をお勧めしたら?」
    (このママ様、見境がない)
それで私は尋ねた。

正岡子規ですか。あの柿食えばの句のどこが良いと感じますか?私など「男はつらいよ」の寅みたいにしか感じませんが。寅次郎が寺の前で柿を食ってるときにゴ~ンと鳴るあれ!」

おばちゃんはしばし沈黙の後に

「私はね、啄木は嫌いなのよ。あの貧乏をウリにした啄木は!」

やはりね、ただの受け売りおばちゃんでした。
そんな伝でいえば子規は病気をウリにしたと言えてしまいます。
また啄木も正岡子規の俳句短歌に影響された歌人です。知る由もなし。
柿食えばの句、正岡子規の話の時によく引き合いに出すのですが、一言「秋の風情がしみじみと感じられる」で十分な鑑賞になるのです。残念でした。彼女は私の問いかけに憮然としたようなので句会には来ないでしょう^^。




そろそろ明治や戦前崇拝は安倍一族に任せないと文化果つる国となります。