2019-03-29 第24句会 ・ 地元の句会も早いものでもう24回。2年よく続いたものだ。途中宗匠に止めようかと言われたりしたが熱心な会員さんがいるし、何より地域でこのような楽しみを得る機会はそうはない。この句会の他と違う特徴は宗匠ご自身に全く尊大さがないこと、句会を縛ろうという意識などは勿論毛頭ない。従って和気藹々、笑いも生まれる句会である。 今回、出された句から助詞の「も」についての検討を出された。婉曲的なご指導と受け止めた。「も」は俳句に使わぬという別の会派の主張をご紹介なさって、さていかがかということだ。 「も」は他を類推させる。それが俳句に相応しいことかというのだが、私は表現として必要なら良い、始めにそのような規制をいれれば表現の可能性を自ら制約する。そうでなくともあれこれと細かい規制があり、結果自分の首を絞めているようなものだ。季語も同様。と話した。もちろん、私は前衛だのニューウェーヴだのの現代のタガの外れた流行にはくみしない。はやり文語表現は表現手段として最も高度であるし、何より私にとって俳句の最高峰は芭蕉でしかないからだ。 「わび」「さび」「不易流行」「しおり、細み」 芭蕉は西行を目指した。すなわち、芭蕉は西行を理解しえたのである。これは極めて重要な事実であり、言い換えれば西行なくして芭蕉なしと思う。 文化とは継承の上に創造を以て豊かさを育む。一見天才的独創であっても必ず時代に制約されるのはその故である。 「不易流行」とはそんな意味ではないのか。断絶を意味することではない。 「わび」「さび」「不易流行」「しおり、細み」 これらを超える理念が創造されたか。これらを超える実作が創造できるわけがない。 「も」から思考がまた脱線し隘路にはまり込みそうなので中止。 海鳴りを夜が呑み込む施餓鬼かな 今回提出したうちの句である。 以前の作だが、実は3.11を背景に詠んだものだったが、そんな事象を無視して頂けばどんな「読み」が出されるか期待したのだ。今回提出した。「が」は俳句で使うべきでないとか他の流派から言われそうだ^^。 来月の句会には女性2名入会予定となった。お一人は前回お試し参加。もう一方は今月の「和歌の愉しみ」にご参加下された方。これで男女比が女性一人多くなった。ほどよい人数である。 ・