pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

惜春

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今冬は余り歩くことがなかった。なにかしら気ぜわしい日々であったからかもしれないが、運動不足は否めない。

先月末より気を取り直し、近隣の低山歩きを再開した。
とくにこの2週間はほぼ毎日、多峯主山から天覧山を越えて飯能駅まで歩いた。時には往復歩いた。

今春は花が長く咲いてくれた。
辛夷と桜とツツジの競演はおそらく初めて目にした。

晴れ渡る空のもと、山道を歩く爽快さはなにものにも代えがたい。
人影の少ない木漏れ日の小道に風が森の声のごとくに吹き渡る。ひんやりとした風が少し汗ばんだ肌を撫でる快感に、桜の花びらが舞い落ちてくるなどすれば、これはもう至福の時である。

至福・・・自分が消えるのである。
このままスッと消えることができたら素晴らしい、つまり、現実にはそうはいかぬ。のたうち回り、或いは生ける屍となるのか。何れにせよ既に現世の用の済んだ私にはどうでも良い。


春の花風に乗りてぞ我が宿に夢のひととき舞ひ散らんかな
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何度経験したことか。
自分が消えてその風景、空間だけとなる瞬間がある。
家の前の公園のベンチに座っていても渓流沿いを歩いても同じである。

ただ、山はたとえ低山でも息を切らす先にそれがある。
山わらふ、その語感そのままに新緑のグラデーションと桜色に彩られた山々を見渡す眺望がある。
遠く富士を見、東京のビル群を眺める眺望などはさほど感動しない。
もとより、このコースは何百回と歩いているが、今春はひときわその美しさ爽快さが身に染みた。

風景に魅入られるとは死が近いからだとかなんとか読んだことがある。
いや、死が近いのじゃない。
死を含む存在の「無」の風景なのだと思う。
全ての生が冬の間に命を磨き、春の息吹に呼応する。
それは同時に無常でもある。

山道ては自分の存在などという自縛観念は一瞬にして消える。

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今月の検診で癌はないとの診察を得たが、個人的には実はどうでもよい。家族のためにはまだ必要とされるだけである。しかし終末期に痛いのは勘弁だが。そういや、大麻などが終末医療に早く認可してくれれば気軽にあの世に行けるのだが・・・昔、上海のアヘン窟に横たわってアヘンを吸引している上海人の写真を見たことがあった。目が虚ろで、こりゃ生ける屍だなと当時は嫌悪感だけだった。いま、現世の地獄を忘れられるのならそれもありかと思う反面、それは最期で用いるべきと今は思う。

木立の高く茂る暗い陰に清楚な著莪が道の脇に群生しているかと思えば、ビロードのような美しい花を垂らす名も知らぬ草がわずかな光を放っていたりする。
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鶯が懸命に鳴いているので口笛で応えてやったら、ケキョケキョケキョ!!!
つまり「こら!こっちは恋人探しで一生懸命なんだ!ふざけんな!」という鶯の怒りの返事が聞こえた。

山を下ると小さな田の広がりのなかで蛙が下戸下戸鳴いている。


「こら、俺の下戸をからかってんのか?」
「ば〜か、お前のことなどかまってる暇などない!」と横目で私を睨んで返事が来た。

狭い水路に雄蛙が雌蛙にぴょんと重なった。お忙しいのである。可愛いものだ。おい、まだ午前中だぜ。いや、半分羨ましい。先刻己の消滅を感じた男が、まこと浅ましいものであるよ。

光と緑と花と風。
鳥や虫や蛙たち

十分な春の山。

山の上では一休みで用意した梅干しの握り飯とお茶が何よりのご馳走である。更に一枚の沢庵があれば満点である。

ただ、今春の山歩きで気づいたが、すれ違う時に挨拶をできない者が2割弱いる。そういう者は表情が暗い。中高年である。険しく陰鬱な顔で山を歩くのはなんなのか。

遠足のシーズンで、小学生の団体とすれ違ったが、引率の教員すら挨拶できぬのが多い。疲労感やイライラの顔・・・子どもら相手の仕事なのに終わってるね、残念ながら。

昔、中学一年生の遠足の引率を思い出した。
疲れているはずの帰り道だったがわがクラスのこどもらは元気に歌を歌っていたものである。


今日も午前中歩いた。
予報では雨は午後からだったが下りる途中から小雨が降ってきた。小走りで麓の寺の門の下に飛び込み雨宿りした。じっと腰を据えているとなにやら芥川龍之介の「下人」になった気分であった。相変わらずいい気なもんだぜ。

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追記
山を下りて街に入ったら新しいカフェがあった。以前、小さな薄汚れた居酒屋だったとことを改装したらしい。美味い珈琲だと噂を聞いたことがあったので入ってみた。
中年の愛想があるのかないのか分からぬ髭面の店主である。

ブレンドで」
「酸味と苦味、どちらになさいますか」
ブレンドを頼んでそんな質問を受けたのは初めてである。
「じゃあ強い酸味で」


驚いた。
美味い!
オープンして2か月だというが、自家焙煎した豆をまこと丁寧にドリップで出してくれた。
都内でもなかなか味わえない美味さである。
昼食時間で空腹だったのでカレーを注文したが、これもスパイスを美味く併せて美味い。近隣にはインド人経営のカレー屋も増えたが、全く遜色ない。

「インド人もびっくりの味だよ、なんて知らんよな」
「いや、聞いたことあります」
素朴な店主は笑いながら愛想を言った。

吾野を目指し299号線を車で20分ほど走ると「可必」という珈琲店があって絶品の味を、この道50年以上のお婆さんが出してくれるが、何分遠い。この「とまり木」という店は駅までの途中にあってありがたい。ドトールだけじゃ飽きてしまう。すっかり通う気になっている。潰れないで頑張ってほしい。こんな田舎の町に勿体ない店だが、店主は自信がないのである。