今日は昨日と打って変わって見事な五月晴れである。始めに訂正、鶺鴒ではなくシジュウカラでした。相変わらずの粗忽巴琴。
をしなべて皐月のそらを見わたせば水も草葉もみどりなりけり
新勅撰集 よみ人しらず
庭ではシジュウカラの親が相変わらず子育てに余念がない。猫たちが下を通ったり、下に光を浴びて毛づくろいなどしてるとジジジッ!と威嚇したり健気である。
子を持つと俄然強くなるのだ。鶴が巣を脅かす敵に対して敢えて自分に敵を引き寄せようと、大声で騒ぎながら自分があたかも負傷してるかのように演技する話を聞いたことがある。
シジュウカラも同じ気持ちなのかも知れん。
狸の巣穴を撮ろうと座り込んでいたら、五月晴れの中、緑が眩しい。猫たちもめいめい庭の日だまりに寝転んで気持ち良さそうである。
低い位置から見ると、世界が変わる。
『モリのいる場所』である。
真似をしようと、ふと思った。
庭の砂利を敷いた細い通路がある。
腰をおろした姿勢から、よっこらしょと仰向けに寝転んだ。
途端に世界が広くなる。
腰の辺りの高さの植え込みも、深い森と化すのだ。
抜けるような青空と広大な森が広がる。
昆虫の目線。
猫の目線。
こりゃ楽しい。
時折、空をシジュウカラが横切ったり、何種類かの蝶がひらひらと舞ったりする。
ささやかに見える雑草もしっかりと存在を主張している。
寝転んだ傍の京鹿子も大きく風にそよいでいる。いや、風は森全体を吹き抜けて草や木々の葉擦れの声を運ぶ。
五月晴れとは梅雨の合間の美しい晴天を云う。
もったいない。
引用した和歌の「をしなべて」は全ての意味だが、その全てには全ての命も含む。そう読めば命の讃歌だな。
モリの真似をしてみたが、モリは茣蓙を敷いた上、私は砂利の上。長居はできないし腹が減って来たので家に入った。猫たちも昼飯、ニャーニャー騒ぐのはハチとチビ。
そうそう、モリの真似は人に見られない事が条件で、今どき見られたら通報されるかも知れん。通報されずとも、間違いなく変人となり、またたく間に知れ渡ることと相成る。注意。いや、モリには遠く及ばぬがある種の変人ではある。