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佐佐木信綱作詞
小山作之助作曲
卯の花の、匂う垣根に
時鳥、早も来鳴きて
忍音もらす、夏は来ぬ
さみだれの、そそぐ山田に
早乙女が、裳裾ぬらして
玉苗植うる、夏は来ぬ
橘の、薫るのきばの
窓近く、蛍飛びかい
おこたり諌むる、夏は来ぬ
楝ちる、川べの宿の
門遠く、水鶏声して
夕月すずしき、夏は来ぬ
五月やみ、蛍飛びかい
水鶏鳴き、卯の花咲きて
早苗植えわたす、夏は来ぬ
夏至も過ぎ昨日今日は晴れ間が快適な風と光を運んでくれる。
梅雨の季節に庭仕事はお留守となり、慌てて庭の手入れをした。
この季節、夜も鳴く鳥がホトトギス。
間近では結構うるさい声だ。
そのホトトギスで、上の「夏はきぬ」の歌を思い出した。
もちろん偏屈ジジイ巴琴であるから、ろくな思い出ではない。
一読、美しい日本の夏を描いているが、作詞者の佐佐木信綱はおそらく田植えなどした事がない。あくまで風物。あの田植えの重労働は過酷なんてものではない。子供の頃に親戚の農家の田植えを家族で手伝ったが、ものの1時間程で私は音をあげた。とても第二番の美的感覚など持ちようがない。
小学生でこの歌を歌ったが、メロディーが美しいし、他の歌詞も綺麗なので覚えている。
ところで、歌詞にある「夏はきぬ」である。
これを音楽教師が、「夏は来ない」のよ!と教えたと知人から聞いた。
どうやったら、そんな意味を連想できるのか不思議である。
単純に「ぬ」を否定ととったのだが…
長閑な時代であった。
「竹馬の友」を国語教員が「たけうま」と読んだりしたのはかわいい方で、埼玉県中学社会科の教員が数少ない埼玉の偉人塙保己一を読めずに「はなわほ、きいち」と読んだり。彼は後に校長先生となり出世した。学校が良くなるわけないよ。
ありゃ、やはり偏屈ジジイ巴琴である。
まことにおおらかな日本と認識すれば良い。お目出度いとは言ってはいけない。ついでに言えば、佐佐木信綱は時代そのままの男で、天皇を神と讃えたが、その息子幸綱は前に書いた通りに、原発讃歌を姑息に出した岡井隆の歌を持ち上げ賛美した。
おそらく、何の社会性も批評力もない。仲良しこよし。岡井も幸綱も知的な恥を知らぬ。成り上がりたな。
「仲よし小道は どこの道♪」
奈落の底に行く道さ。
と、私は相変わらずである。
ドトールで壁に頭を擦り付けて
イビキ社員の昼の憂鬱
大変だよな、現役の若いサラリーマン。
頑張れ。負けても良いから自分に頑張れ。
オマケ
教師が「夏は来ないのよ!」と言ったから 今日は夏は来ない記念日
なんてバカを言ってないで、さてまた庭仕事するか!
写真 昨夕の散歩の景色