pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

花火

先週の土曜、隣市の花火大会があった。
こちらは山の陰で音だけ。
田舎町の花火大会なのでスローに単発の花火が打ち上げられていた。
その音を聞きながら、ようやく夏の気分となった。


私が子どもの頃の夏祭りの記憶は、大阪の天神祭と郷里の相馬でのものだ。

天神祭は小学3年まで記憶している。
宮本輝の『泥の河』そのものの世界であった。小遣いを握りしめて悪童らと夜店を巡り歩いたが、しかし記憶で鮮明なのは夕暮れの広い祭り会場の上の赤い空だった。花火は記憶にない。
小さな亀の子を一匹買って母親に見せたら、川に返そうという話になって、母親と幼い弟3人で近くの安治川に離した。河口なので対岸のコンビナートが眩く輝いて見えたものだ。

小学4年郷里に戻ったが、郷里は民謡の里と呼ばれる事もあり、野馬追祭りとお盆の祭りは盛大であった。
野馬追祭りは子ども行列に駆り出されるので迷惑この上無かった。

お盆祭りは市内全域の町や会社からそれぞれの踊りの行列が会場まで練り歩き、大櫓の周りをお囃子に合わせて幾重にも踊っていたものだ。母は踊りも好きだったので行列が家の前を過ぎる頃に待ち構えていた。しなやかに踊りながら笑顔で過ぎていく母を記憶している。家にはスイカが冷えていた。

もう一つ、市内に巨大な電子部品の工場が出来てからは、その会社の協賛が加わり花火大会が盛大になった。盛大とは当時の感覚で、今の何万発というレベルではない。「○○さんの花火で〜す」なんて一つ一つの花火に紹介が入る。

単発中心で時にスターマインやナイアガラなどが暗い夜空を彩った。

私としては自分の子どもの頃の感覚が今も生きていて、花火大会の今の派手さよりも、単発の打ち上げ花火がゆっくり上昇して花開く方が好きだ。ドーン…パパバッ!というのんびりした風情である。その散った後火が静かに消え落ち、音がす~と消えていく。空は再び暗く、静寂が訪れる。

その繰り返し。 

川べりの道から眺めたものだ。
その花火の合間の静寂の闇の中に蛍が浮かんだ。
川面から蛍がたくさん飛び立ってくる。団扇にも停まってくれるのである。
家に連れて帰り、庭に離したものだ。
祖母や叔父たちも集まり、賑やかな祭りの夜。蚊帳の中に寝る楽しさまであったものだ。
静かに夜が更けていき、花火の余韻を引きずりながら眠りに入っていった。

有り難い記憶の一つである。


3匹の猫3態
見てる方も暑い!
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