pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

見世物小屋

 

即位礼なんたらがテレビマスコミの枠を埋めて盛大に報道されているらしい。新聞もテレビも無くなった我が家には無縁の事だが、ネットがあるので否応なく情報として知る。


昔、子供の頃に見世物小屋に入った事がある。サーカス巡業だったか祭りだったかも覚えていない。
入った途端にその汚らしさみすぼらしさ、そして陰惨にして酸鼻を極めたような出し物ー蛇女ーや鶏にかぶりつく女を見ただけで小屋を飛び出したのだった。

見世物興行は大昔から世界中に存在したようだ。日本には平安時代には中国から来ていた。天皇皇族の前で馬鹿を振る舞い喝采を浴びていたとかの記述がある。

エログロの要素もふんだんにあった。
古来人々はそのような見世物に日頃の鬱憤を晴らしていた。

能楽もそんなルーツを持つ。
一方はエログロを極めて、一方は芸術性を極めて行った。

堀辰雄の小品にも見世物小屋が登場する。
浅草十三階付近の小屋にジュゴンが展示されていた。ジュゴンは見物人らが投げ込む硬貨を飲み込み息絶える。

ジュゴンといえば辺野古に棲んでいたものはすっかり姿を見なくなったとか。
辺野古から逃げて生きていてくれれば良い。

見世物は残虐性を裏に潜ませる。
人間のもつ加虐性被虐性が顕にその見物人の眼に浮かぶ。


かつて見世物小屋にいた蛇女や類する女子供障害者たちは自分たちの生きる術として、その姿を晒していた。
そう考えれば客の前で性行為を見せるストリップ小屋も同じだったか。
そして見せる者見る者裏表の存在だった事を教えてくれる。

あの湿っぽい薄汚い小屋に、女が蛇を身にまとわせている。生きた鶏にかぶりつく女もいた。口元は鶏の血と羽毛にまみれながら。彼女らは生きていた。そんな人々を毛嫌いする理由は一つもない。自分たちを晒して必死に生きていただけだ。他人に害を及ぼすことなく必死に生きていた。


見世物小屋はもう殆ど消えたようだ。
お化け屋敷はある。エログロ劇団もあるが、往時の見世物小屋の比ではない。

そして現代、テレビジョンが見世物小屋となっていそうだ。
スイッチを押せば箱の中に見世物小屋が映し出されるわけさ。
近年、お笑い芸人が箱の中に溢れるようになったのも故事の因むものと見れば良いが、天皇は一日中一年中馬鹿を見て馬鹿笑いしてた訳ではないが、現代人は庶民が年がら年中見ている訳。見世物小屋を。

それはそれは幸せである。今日明日は天皇即位礼とかの特別興行。さあ滅多に見られる出し物じゃありませんぜ。さあ皆さんご覧あれ!てなところだ。

うまい具合にラグビーでうつつを抜かし、今度は即位礼、来月はパレード。

さあさ皆さん憂さを晴らして下さんせ!
来年はスポーツの見世物小屋も控えてます。
という訳で現代の興行主はボロ儲けと相成ります。もちろん興行主を操る連中はさらなるボロ儲けを企んでいますが、しっかり目をかっぽじってテレビ箱を覗くと、あら不思議、そんな操り人形ショーも見られるって塩梅です。
まぁ分かりきった話^_^


動画 現代見世物。ヤワいねえ。昔に比べればだが。

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