pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

受験問題と国家滅亡と萩生田光一自民党

紅野謙介
もしやと検索したら案の定、紅野敏郎先生の息子だった。

紅野敏郎近代文学の「歩く図書館」だった。
彼を見て私は研究者を諦めたのである。
書籍はおろか面白くもなんともない文献まで記録された記事や手紙類を読まねばならぬ。好きという尺度しかないボンクラの私には冗談ではない。何よりその好きが私は極めて偏狭な好きなのだ。
文学研究者というのはそういう人たちに任せれば良い。
などと書けば、それでは君は何をどれほど?と突っ込まれて一巻の終わりだった事は何度も書いた。学究無縁。刻苦勉励無縁。いや、刻苦勉励は受験で否応なく味合わさせられた。お受験はアホらしくて二度と経験したくない。

と書くと、如何にも受験勉強したように見えるが、これもまた真面目さとは無縁だった。浪人して、いよいよ追い詰められて頑張っただけ。ニ浪は絶対嫌であった。家に居なければならない。これは我慢の限界だった。

じゃあ仕方ない、やるか!という事で、浪人後半、所謂、赤本を数年間分仕込んだ。覚えてないがせいぜい6〜7年前の分まで集めた。ヤマをかけるのである。それで受かって、なんとセイセイした事か。アホらしい。

私にとって受験とはそんなものなので、我が子ら四人も受験勉強とは一切無縁だった。塾予備校無縁。そう書くと巴琴の自慢話かと勘ぐられるが、そうでは断じてない。それでも合格する。

問題は合格ではなかった。
本人にとって大学とは何かという問題なのである。その何かとは一人ひとり全員違って良い。

幸か不幸か、入学後半年で大学はロックアウト。アホらしくて話にならない。しかし、また良し。どうでも良しとなった。後は寮生活のみとなった。

だからお前はアホなのさ。
と言われる事は全く問題ない。
自分の経験を書いたが、言いたい事は受験という暗愚装置てある。自覚しなければとんでもないアホか狂人に育つ。寄ってたかって子供らをその装置に乗せる事が如何に子供らを損なうか。

東大にも入れぬお前の如き意見は無用である、と言われそうだが、一例を話す。

彼は進学校から東大に入ってグラビア誌の編集部で活躍した。グラビアなどと聞くとおしゃれな気がするが、なんの事はない、身体を晒す女たちの世界。ストリップ嬢よりはるかに下品な女たちの中で(昔のストリップ嬢は生活苦)猛烈な仕事人となり、ついにはフェードアウトしてしまった。その後ユーラシアを放浪しながらぼそぼそと記事を売って暮らした。彼のその放浪記ブログは素晴らしい。しかし、ある時、時事の話題で、彼が安倍信者だと分かった。無条件に安倍を地元の英雄と見ているのである。そして、あの国税庁長官佐川(自殺者を出した男)を友人として畏敬の念をもって見るのであった。

つまり、人間をどう見るかということにおいて、彼は日本人一般の傾向をそのまま受け継いでいるのである。属性で見る。ある意味純粋な男で、単純。肩書に無条件に平伏す。これが、偏差値人間の姿である。そう見れば、官僚の情けないポチぶりも理解できる。

紅野謙介氏の話から脱線したのではない。紅野謙介は国語教育の第一人者と紹介されていたのである。もちろん彼は萩生田の共通テストにおける作文は否定している。あたり前。しかし、共通テスト以前の問題である文科省利権行政には全く触れていない。現教育行政の土俵に乗っていて、その批判はあるが、利権に触れていない事が即ち加担である。全くの優れた学究人の父親から、おそらく何の問題意識も持たぬ第一人者が出てきた。それが私には奇異に映り、そして納得したのだ。彼もまたお受験人間であったという事。


「共通テスト、専門家が立て直し案を提言 格差を解消し、生徒の力も伸ばす「英語のスピーキング力」の測定法とは」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200130-00000024-sasahi-life

そもそもがベネッセ利権の共通テストなど無用。加えてセンター試験も同様。萩生田は今後、全生徒に端末をもたせる方針らしいが、莫大な利権が絡む。上記の記事で英語云々と英語の「第一人者」がのたまうのは、そんな端末絡みであろう。現場の限界を超えた憔悴など一切無視できる連中である。

しかし…受験産業…ヤフーニュースでも盛んに煽る。この国の狂気の生産基地でもある。



写真 枯葉の布団の上で居眠りモン太郎。
   「俺はポチではない!」と、寝言。

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   珈琲豆焙煎店でもある「可必」に新しく加わったニャンコ。

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