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宿の朝
一昨日の月曜墓参のため帰郷した。被災後不通だった常磐線が今月開通したので特急ひたちに乗った。前に書いたように動労検査では車体に放射性塵が付着した特急である。まぁ年寄りには殆ど影響はない。
しかし、常磐線で帰郷するのは何十年ぶりか。久しくクルマでの移動ばかりだったのだ。
常磐線ひたちは昔日の如く鈍行特急であった。各駅停車みたいなもの。しごく長閑なのである。突然冬に戻った大空の下、海沿いを走る。
途中、茨城の磯原を通過。山村暮鳥が例の「雲」を書いた土地である。
おうい雲よ
いういうと
馬鹿にのんきさうぢやないか
どこまでゆくんだ
ずつと磐城平の方までゆくんか
教科書によく載せられているが、詩集『雲』の連作の一つ。
自分の詩が下手になって嬉しくて堪らない病中の暮鳥だったのだ。
下手、つまり平明は分かりやすい。
分かりやすい、本当かな?
福島に入り勿来からまもなく湯本。常磐ハワイアンで復活した温泉町。この湯本のあるのが暮鳥の言う、磐城平、今のいわきである。
いわきを過ぎると原発の影の濃い地名が続くが、風景としての名前にこびりついたその影は半永久に拭えないのだ。折しも復興オリンピックなどと外道共が狂奔したオリンピックが無残な醜態を隠してテレビが大騒ぎである。
しばらくして南相馬から小高、相馬となり私の下車駅となる。
隣町の小高は難解な埴谷雄高の本籍地。
下車して寒風の中、海に面した宿に着く。
「え!本当にご予約ですか?」
冗談好きの私も冗談が言えず一瞬たじろいだのだった。コロナ騒ぎでキャンセル相次いで予約はほぼゼロだという。
「ありがとうございます。でも、いつでもキャンセルしていいですよ」
これは二枚舌ではない。海に暮らす人たちだから。
部屋は東南の大きな窓を持つ眺望の素晴らしい部屋を用意してくれた。東は太平洋が眼下に広がり、西には阿武隈山地が控える。
ここは陸繋島の砂州が鵜ノ尾埼灯台まで続き目の前はその内海。水鳥に白鳥が混じり泳いでいた。海苔筏も復活している。だからアオサもふんだんに使われて、アサリ(埼玉じゃハマグリの大きさ)の汁にも天ぷらにも彩りを添える。
小4で大阪からこの地に戻って以来、高校卒業まで、夏には歩いて泳ぎに来たものだ。
翌日、宿からタクシーで漁港経由で鵜ノ尾埼灯台まで。以前の記憶から50年は過ぎている。その頃は港から小舟の渡しで灯台麓の砂浜まで行ったのだが、二十年ほど前に港から島まで立派な橋を架けた。オマケに陸繋島の砂州に舗装道路まで作った。情緒破壊。天皇来訪が理由であるが、言い換えれば天皇利権。天皇が橋を希望するなどありえない。忖度という利権。何から何まで利権なのである。
様変わりした灯台下の道。帰りは徒歩であるが、海に面した所が防波堤としてコンクリートの壁が視界を遮っていた。つまらぬ利権堤防である。
しかし私は灯台のある風景が好きである。沖を行く船への白亜の標は色彩の対比の鮮やかさ。鵜ノ尾埼灯台、犬吠埼灯台、美保関灯台、訪れたのはたった3箇所だがいずれも美しい。この鵜ノ尾埼灯は小ぶりだが珍しい四角の形状で東日本大震災にも耐えた。ただ、波の潮に松林が痛めつけられた姿が痛々しい。
津波で流された百体の地蔵を半数を探しあてて安置した。
天気は非常に不安定で晴天が歩いている途中で黒雲となり、雨粒を落としたかと思うとすぐ青空が広がったが、港の食堂に着く頃にはみぞれが降ったりした。
食堂は客が次々と訪れた。
この食堂、海の幸の名所である。少し高いが海鮮丼を頼む。昨夜の宿の夕食も同様。何せ海の幸。満腹至福。
午後、主目的の墓参だが、彼岸の終わりに行くのは墓の掃除。その後、駅前の本家を見に行ったが、秋の洪水でシャッターが役に立たなかったという教訓を得たせいか分からぬが、4間の間口全面に板を隙間なく打ち付けていた。駅前の一番目立つ店がこの有様。本家長男は中に引き篭もったというより籠城の姿勢。け押されて、中に入れずに市内の宿に入った。こちらはビジネスホテルだが、フロントの美人おばさん、妙にシナを作る。部屋ではテレビを見るしかないが、やはり鬱陶しいので携帯のYou Tubeで国会の様子を見た。
偶然、共産党の山添拓の質問風景を見た。黒川の定年延長問題を森法務大臣にぶつけていたが驚いた。テレビを見なくなって久しいから国会答弁のリアルは知らずに来たが、山添議員、一期目の35歳の若手だが、追求が素晴らしい。全く無駄がなく、森の答弁の嘘を、官僚の答弁を織り交ぜながら、答弁の矛盾を、資料と精緻な弁証によって徹底的に暴く。こんな若手が居たのだ。極めて優秀で端正な弁証、見事。これでは国会中継は安倍の提灯テレビじゃできない。山添は間違いなく政治家のホープになるべきだ。全く驚いたのである。
面白かった。黒川の定年延長問題は全くの違法性を明らかに論証された。それでも安倍は多数というだけの暴力で押切る。モリカケ問題に再び火が付き違法内閣が丸出しとなる。黒川はその切り札。しかし、安倍の突如の休校要請、そして再開に向けての要請、余りにお粗末で矛盾する要請は無能無責任を曝け出した。念願のオリンピック政治利用も延期だが、もちろんテレビ利用で如何にも俺が決断したという態度だが噴飯もの、ただの孫受け首相なのだ。今度は小池が首都封鎖に言及し始めた。学歴詐称疑惑のファシズム小池も強権発動がしたいだろう。つまり安倍も小池もコロナの初動ミスを棚に上げて、権力浮揚の道具としたい。
でもって、コロナが自然収束した暁には、俺がコロナを打倒した!と喚く安倍が容易に想像できる。
凄いね、ネットは。感心しながら寝た。
翌朝すなわち今朝、食堂で食べていたら背後のテレビで朝ドラ?をやってる。言葉だけ聞いていたが、甲高い耳障りな言葉、その方言も汚いと感じた。それは勿論、方言そのものが汚いのではなかった。女優さんの未熟な発声と脚本のせいであった。
どんな同じ言葉も使う人間に依る。
ダラダラと続けた駄文に引用されるのは甚だ迷惑だろうが、山村暮鳥の詩集の文言を引用する。
「むかしより、ふでをもてあそぶ人多くは、花に耽りて實をそこなひ、實をこのみて風流をわする。
これは芭蕉が感想の一つであるが、ほんとうにそのとほりだ。
また言ふ。――花を愛すべし。實なほ喰ひつべし。
なんといふ童心めいた慾張りの、だがまた、これほど深い實在自然の聲があらうか。
自分にも此の頃になつて、やうやく、さうしたことが沁々と思ひあはされるやうになつた。齡の效かもしれない」
すなわち、今日には「花」も「實」もない。または身も蓋もない。
津波はこの岩を超える高さでした。