pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

レ・ミゼラブル

昨日から別宅住まい。
やはり歳か、明日からの勤務にこの別宅に慣れて、通勤経路を確認しておく必要があった。
新しい環境、若い頃は全く覚えなかった不安が生じた。必要最低限の生活だが、結構ちまちまとした買い物も必要となる。ドンキホーテがあり食料品までなんでもあるので便利である。

今日は実際の通勤時間に合わせて通勤経路を確認した。勤務校は住宅地という分かりにくい場所だが、今日2回目となり、間違わずに済んだ。それで8時前。その後の時間は用事は無い。で、映画鑑賞となったが、上映時間は11時45分。新宿駅近くの老舗珈琲店○○に久しぶりに入った。客は他に一人しかいない。若いウェイターが嬉しそうに寄ってきた。オーナーはすっかり年老いているが矍鑠たる風情で老舗を守っている。数十席のテーブル全部にきちんと定位置に灰皿を置いているのも変わらない。頑固一徹なのである。ミドリのオババ狸なんぞ眼中にないのだ。そこで並んだ新聞に久しぶりに目を通す。相変わらずヘタれ新聞であり、読書で時間を潰す。贅沢な時間。


映画館はやはりガラガラ。数人の観客。これじゃコロナに感染するはずもないよな、と、売店のお姉さんと話すと彼女は手を打って喜んだ。これじゃ鑑賞中周りを気にする必要は全くないので、これまた久しぶりにポップコーンを買った。


レ・ミゼラブル

ビクトル・ユーゴーの作品で、それは映画化されたのも観た。

今回のは同名ながら現代のレ・ミゼラブルである。

フランスという多民族国家の問題であり、貧困と暴力の問題である。

舞台はモンフェルメイユ。
つまり、ユーゴーの名作の舞台と同じであり、監督はそこの出身で今も離れていない。パリからさほど離れていないにも関わらず、都市化が頓挫し大規模団地が移住者にうってつけの家賃となった。生活の貧困と教育の貧困。そこに社会的蔑視、差別、偏見。

グローバル世界の縮図となる。

冒頭にサッカーのW杯優勝での、凱旋門を埋め尽くした観衆の狂喜乱舞が描かれる。スポーツが国民の一体感を与える象徴だが、所詮一過性。モンフェルメイユの日常の過酷さがミゼラブルなのである。

http://lesmiserables-movie.com/info/

ラスト、以下の一文が文字として流れる。


「友よ、よく覚えておけ、悪い草も悪い人間もない。育てる者が悪いだけだ」


親が悪い?じゃあ、その親の親も悪いか?じゃあ、その前の親もか?何代遡れば納得するのか。

自己責任と、また、悪辣な政治家の言葉を引用する。自己責任とはつまるところ、そんな馬鹿げた理屈なのだ。容易く騙される日本人たち。

育てる者が悪いだけだ。

つまりこうだ。
人間は社会的動物であるという事だ。生まれ育った社会的環境、そこに子どもへの温かな眼差しと救い、つまり愛情があれば子どもは立ち直る。


モンフェルメイユの悲惨はユーゴーの200年前とどう変わったか。
ついでに言えば子どもらが沢山自殺する日本の今とどう違うか。


モンフェルメイユから離れない監督の視線には悪人も善人もない。200万人を動員した本作は見応えのあるものだった。

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