pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

コロナ騒動と私

f:id:pakin:20200402223234j:plain


新コロナウィルス騒動の渦中の今月1日に初出勤となった。相手が今までのようなブラック或いはハチャメチャな職場ならさっさと辞めるのだが、今回は一応れっきとした公務員としての採用であるので、そうは行かない。罹患する恐れはある。しかし、電車もバスも通勤者が沢山乗っているのだ。みな耐えている。

仕事を辞められずに耐えているのである。社会的必要性の極めて高い、病院関係者や介護関係者、公務員、他、怖くても耐えている人たちが大勢いる。

私の場合、何せこんな年寄りを採用(1月内定)した教委の意を軽んずる事はできない。今日聞いたが私の職制での採用は各職場に1名。お手伝いさんとは言え、その意を汲むに私の意あり。

若く活気に満ちた職場である。
恐ろしく無駄と思える雑多な業務も重圧であろうが、活力と明朗さで責任を遂行している姿は哀れさなど超えて、いっその事、清々しいくらいである。

こんな職場は初めてである。
私は基本的に各学年クラスの算数の補助と放課後の補習に入るので、算数科教員に付いた。

えー!巴琴先生の歳は俺の倍なのォ〜!

彼は私の歳を訊いて叫んだ。恐れ多いとも。

いやはや、見渡せば私の子供の年齢が大半であった。

予想はしてたが、私はこの職場で全くの異種珍種火星人のような存在であるのを肌で悟った。彼らはまた他の職場の人間同様に、狭い狭い空間で生きている。そこに高校を定年退職し、更に10年近く過ぎた、校長よりずっと高齢の私が手伝いで入った。

今日で3日過ぎた。
バカを言って笑わせる事に専念した。
児童不在の中で教員たちは児童を迎える準備に余念がないが年長の教員も含めて屈託なく笑ってくれる。冗談を言う男には全く見えなかったのだ。

できる事は何でも言って下さいよ。
こちらは暇なのが辛いのである。お手伝いさんだからよ!と言ってると、生徒指導部長が恐る恐る教室掲示用パウチを依頼してきた。はいよ!気安く応じたが…100枚近い。パウチ器具は、アリや家庭用。ノロイ。こんな事やってりゃ他の業務ができない。私の方も算数教室の雑務をやりながら合間にパウチで昨日今日と2日掛けて終わった。

職員室に数十人の教員がひしめく。これはどこも同じ。教委同様。更にワイワイガヤガヤと感染者が出たら即アウト。校長と教員の2名が咳をしているが危機感がないのは習性なのだ。

みな、私に慣れてきた。質問が増え興味津々である。アハハ、珍獣に見えるのかも知れない。

前の席の女子教員も仕事の合間によく訊いてくる。そういえば、彼女に限らず私は彼らの目には50代に見えていたそうた。いや、自慢ではない。

何読んでるんですか?  

すぐ尋ねてくる。私、読書が好きなんですと。へえ〜、以前養護学校にいた時には、読書してる!と変人扱いだった。

柳田國男だよ、と教えると、この美術科の先生はその名を知っていた。よく知ってる!と褒める。事実、現代っ子は殆ど知らない。中年の男教員が貼ってある絵を見て何か分からない。彼女は「阿行吽形の阿行です!」と教えると男はそそくさと逃げていく。「全く…」彼女は不満である。この娘はストレートな物言いで隣席の新任の男も気圧されているのだが、その気性は裏がなく率直で良い。無邪気といえば無邪気。

小学校ながら、ここは男女半々。2月の面接で私が神戸の小学校問題を話すと、副校長がここはみな良い先生たちですと言っていたがそうかも知れない。

今日3時からウェルカムパーティと称して着任者を算数室に招いた。飲み物と菓子がテーブルに置かれている。

着任者の挨拶となった。一人1分。
最初にやはり私を指名してきたので、俺に1分かよ!こら!幾らでも話してきた俺にか?俺の息子と同じ歳のくせに!俺は話し出すと2時間でも話すんだよ!
全く、こうして見りゃ、皆さん私の子供らの年齢じゃないかい!こら息子ども!

爆笑成功。

他愛もないが、他愛もない事が大事な職場なのである。若い教員も中年のおばちゃん教員らも笑いたくてしようがないのである。その後司会はことある毎に巴琴先生!と振ってきた。これをイジられキャラと呼ぶ。何が巴琴先生だ!こら!校長さんに振れ!でまた爆笑。校長も釣られて笑っている。

そのパーティの、あと、職員室での夕会。
今日、都立の休校に関して小学校中学校の対応を校長が話した。99%以上こっちも休校になる。まだ決定ではない。明日お伝えするとなった。しかし、休校の場合は夏とかに補充授業とか、相変わらずカチカチ狸の教委、文科省である。


来週入学式なのだ。その準備も5月になる公算だ。ピカピカの一年生を迎えることを楽しみにしてきた教員たち。私も同様。如何ともし難い。

児童のいない教室、担任たちは綺麗に整えている。小学校の教室…実はすごく魅力的な可愛さなのである。そこにドングリたちがピーピーキャーキャー。私はただ眺めて楽しむのである。

どうも刹那的か、外界の愚劣極まりない姿などどうでも良い。

まぁ、今日までの気分としては、ここにもう少し居るか、という事になった次第だが、児童たちはしばしお預け。