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コロナ禍は連休明けには収まるか?
ただの希望的観測。
3月の発作的休校要請にも今回の自治体による休校措置も細切れのように休校措置を繰り出している。
一方、遅れた授業は夏休みなどで補充しろとか、相変わらずの文科省である。
以前書いたように学習内容などどうにでもなる。この際、学習の最も大事な自学自習の態度を持たせるチャンスではないか。教科書参考書は山のようにある。学校は補佐すれば良いだけだ。
休校に入り、学童保育の子どもらの何割かが午後まで学校に過ごす。預けておけば良いという無責任な保護者もいるが、どうにも万策尽きて預けざるを得ない保護者もいる。
学校で感染したら…と思うとゾッとするが、それに耐えてやるしかないのが日本の現場である。開いた口が塞がらない愚昧極まる無責任政治の中で本来犠牲にならずに済む者が沢山出てくる。
その中で絶対許せない愚かさが、子どもをその愚昧の犠牲にするという事だ。
保育園が閉鎖された!と途方に暮れる保護者たち。
働かせるだけ働かせて、いざという時には救いの場がない国。社会的セーフティーネットなどない。仕事が無くなれば生活は成り立たない。
バスや電車で今も通勤する人々は感染というリスクに怯えながら座っている。好き好んでやってる訳ないだろうが!
変に静かな重苦しい車内の空気に耐えて通勤しているのである。
バス停でおそらくベトナム人であろう若者数人とよく会う。2回目で挨拶や簡単な会話を交わすようになった。みなお揃いの作業服姿である。中の一人は日本語会話ができる。
「仕事、大変だろう?」
「いえ、私たちは働きに来ているのです!」
明るく屈託のない返事が私の心をほどかせる。
精一杯働いて祖国の家族を助けている。彼らに心無い非難をする連中はマトモではない。人非人である。
同様に、ネットカフェで暮らしている人たちへの保護として安いホテルを斡旋する大阪市だが、非難というより攻撃の汚い言葉を吐くコメントが目立った。
学校に着くと、スケジュール確認。登校した子どもを3グループに分け、1〜2時間目まで「学習」もどき。距離を離して座る子どもらに持参してきたプリントやドリルの自主学習をさせる。
1グループ教員2人で対応。子どもは8人ほど。
結構一生懸命のやってる。一人だけ構ってちゃんがいて、机の下で転がっている。この子は相方の新任に任せた。手こずっているが、良い勉強である。私は机間巡視で声掛け。
3時間目体育館で運動。
連れて行くと一年生の女の子が軽い咳をした。
寒いのかな?
うん…
彼女を教室まで連れていきコートを着せたが、咳も気になるので、いつもどんな風に過ごしているか訊ねた。
運動するとね、咳がでるの
あ、喘息だな‥教室に回ってくる教員にその旨を体育館にいる教員に伝えてもらって、私は彼女と教室で過ごした。もちろんエアコンで暖かくした。しばらくして、体育館にいた教員が折り紙を持って来てくれた。教室にあったおはじきと折り紙で遊んで終わり。キャーキャーアハハと元気である。午後の担当に引き継ぐ前に保健室で養護の先生に診てもらう。右鎖骨下に貼り物があった。喘息を抑えるものだ。
全く可愛い一年生^_^
多忙激務であっても、この仕事は最も幸福な仕事ではないかと思う。
私はお手伝いさん^_^