今春、鯉幟を町でも見かけなくなって寂しく思っていたら裏のお宅に鯉幟が翩翻と翻った。
5月の青空に鯉が泳ぐさまは日本の一つの象徴である。
世界に子どもの健やかな成長を願う行事は多々あるだろうが、桃の節句と菖蒲の節句を見ていると、我が国の伝統的文化の核心が肌身に伝わってくる。
それは子どもへの深い古人の眼差しである。万葉集という世界に冠たる大詩集(敢えて詩集と呼ぶ)。
万 葉 集 を 読 む
ー壺齋散人の万葉集評釈ー
https://manyo.hix05.com/okura/okura.kowoomou.html
「老身重病年を経て辛苦しみ、また児等を思ふ歌」はその代表であろう。老いて病に苦しみながらなを子どもへの深い愛情を詠う。子どもの為に生きていたいという痛切極まりない歌である。
土佐日記 紀貫之
世の中に思ひやれども子を恋ふる思ひにまさる思ひなきかな
任地より都に帰る事の嬉しさなどなく、病死した娘への愛着。
もちろん、このような子どもへの愛情を詠った和歌のみならず、平安末期に大流行した今謡、現代ではくちさが無い連中が解釈を捏ね回しているようだが、ガタガタ言ってる暇があったら、これを口ずさめ。
遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声聞けば
わが身さへこそゆるがるれ
日本における吟遊詩人である白拍子に依って舞とともに唄われたこの詩は今様であり、庶民から生まれたものである。万葉集もそうだが、日本の庶民の心なのである。
翻って現代、コロナ禍で学校問題が表に浮上している。ろくな事はない。学習の遅れ、授業時数の不足を夏休み返上で補え?
まずもってアホというか、クズの発想。救いようがない。
学習の遅れだと?
貴様らに学習が身に付いてるのか?
次、授業時数。
非常事態宣言だと言っていながら、相変わらずの指導要領に縛られた発想。オマケに小野市長だったか、始めに夏休み返上をぶち上げたのは。親ウケだろうが。どう見ても学習した顔ではない。
コロナ禍が夏休み前に終息するのが前提の話だが、誰が7月で終息すると言ったか。で、文科省が9月入学を検討しだしたらしい(嘘、昔から議論している)。じゃあ9月に終息すると見てる?この内閣の無様さは国内外に知れ渡ったから、9月入学を本気で実行する愚かさも分かる。アベだからな。何をやっても愚かさが先に立つ。その愚かさの最たるものが夏休み返上。
なぜか、言うのもバカバカしいが、子どもらにとって一年間で一番嬉しいのが夏休みなのである。たとえコロナ禍でも子どもには同じ。その嬉しさを踏みにじるのか。
全てに共通する彼らの意識には子ども本位の視点が全く欠けているということ。ここまで愚劣な大人共が日本の過半数を占めるとしたら日本に未来は無い。
子どもを守れ。
子どもに喜びを与えよ。
何とも情けない話になったが、鯉幟を見ていると親の情を思い出す。
鯉幟立てる如くに意気揚げよ人生いまた終わらずにあり
私の去年の愚作で恐縮だが、27日投稿の
鯉のぼり見ぬ世となりしこの無慙子らの瞳はいずくにやある
が、今朝、裏のお宅の鯉幟を見て幾分和らいだのである。
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