pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

堀辰雄記念館 秋の講演会

f:id:pakin:20201024223131j:plain

昨日ローカル線でのんびりと宿泊のホテルまで来ていた。御代田町。横川から軽井沢行きのバス、軽井沢から電車で御代田町であるが、この御代田町、半世紀前(と言うとまぁ感慨深い)に卒論準備という名目で山間の合宿所のような宿で夏の2週間ほど過ごしたのだった。結構な数の学生たちが逗留していて、夕食後など酔っ払うのも多かった。夕食後山道を散歩したら月が煌々と輝いていた記憶がある。姥捨山など想像していたかも知れない。

今回は軽井沢町のホテルは取れずに御代田町のホテルを予約したのだが、そんな昔の思い出の地は当然様変わり。ホテルまでの道は洒落たレストランやカフェなどある。
f:id:pakin:20201024223736j:plain

今日午後1時半より追分公民館(立原道造の友人が設計)で、その講演会が開かれた。

講師は和洋女子大教授の○○先生である。今年定年とかで年齢は私より下である。日本女子大大学院卒とか。テーマは「堀辰雄漢詩」であった。
f:id:pakin:20201024224031j:plain
このテーマは珍しい。和洋漢の文化を身に着ける作家や文人はいるが、堀辰雄漢詩というテーマは浅学なので初であり、興味津々参加。今年はコロナで春の野茨講座は中止となっていたから、余計にこの秋の講演会には期待した。ただ影響はあって参加者は通年の半分に抑えられた20名。

堀辰雄の全集から漢詩に関わる文が羅列され、簡単な説明など聞きながら、途中までは気持ちよく時間の中にいた。


「我思古人」

堀辰雄詩経から引用した言葉である。2千数百年以上前の、中国最古の詩集にあり、以下漢詩体系より。

詩経』邶風・緑衣の第三章「緑兮絲兮/女所治兮/我思古人/俾無■(言+尤)」と第四章「絺兮綌兮/凄其以風/我思古人/実獲我心」に拠る。前者は「緑よ糸よ、そなたの染めなすわざ、賢き古(いにしえ)の人を思って、われは尤(とが)を残すまい」、後者は「薄いかたびら、この寒い風に、我は賢い古の人を思うに、実にも我が心にかのうている」の意である(高田眞治著『詩経/上』

古人とは女性の謂であるという。堀辰雄はこの「我思古人」の篆刻印も保持していた。

このような堀の漢詩への傾倒は昭和14,15年ごろから強くなる。

羅列した中に「萬事傷心在目前 一身憔悴対花眠」という、これは唐の司空曙の詩からの引用で、堀は葉書に書いている。

すべて今自分は心を傷めながら過し身は痩せ細ってしまった。ただ自分には花に向かって眠るほかはない。

そんな司空曙の詩意を堀辰雄は軽く自嘲気味に書いているのだが、先生は「萬事傷心」にこだわって、戦中の社会への嘆きかいなかと言い、そうではなさそうね、で終わってしまった。

堀辰雄を理解すれば、彼が手紙の相手に戦中社会を慨嘆して見せる事はない。狂った軍国主義社会への拒否は徹底していても。この司空曙を引用した堀の心情は自嘲気味ながら、自分の姿を「対花眠」で伝えようとしている。花に向き合って眠る。痩せ細って結核の進行を覚悟しながらも、そんな気概を伝えようとしていると見る。そしてそれは堀辰雄の古典物への傾斜と共に語らねばならないのだが、残念ながらそれへの言及なし。

で、この辺りから聴いていて「アレ?」と感じる事になった。


次に先生は杜甫の詩「新婚別」への堀の訳文を取り上げ、その訳文のぎこちなさを指摘し、まぁ稚拙よね〜的な評価で終わってしまった。

また、先生は「風立ちぬ」の、いざ生きめやも、を取り上げて、堀辰雄が文法的な間違いをしていると指摘した。

「や」は反語よね、反語なら生きない!という強い表現。誤訳よ」

でたか…やれやれ。どうも先生は堀辰雄の翻訳力はこの程度と見下げていらっしゃる。


この後の話は堀辰雄の古典主義の意味に移り終わった。

講演会最後20分ほど質疑応答があり、始めの質問者の後、私が質問した。

「先の堀の漢詩の訳文、確かに仰るようにこなれてないと感じますが、堀はどうして漢詩の訳文を残したのでしょう。私は病臥中の戦中の堀が日本古典への傾斜と共に、この中国最古の漢詩杜甫漢詩を翻訳しながら短編小説のようなものを構想していたのではと感じます。万葉の時代を背景にした小説は企画で終わりましたが、堀の古代への憧れは明確です。病の悪化で果たせなかったものの伏してなお新しい作品を構想する為の下書きとしての訳文、これはそういうスタイルの訳文ではないでしょうか」

先生はそうかも知れないが、この翻訳は杜甫のドイツ語の翻訳だからこなれてない、という視点しか持ち合わせてらっしゃらなかった。堀が生粋の作家であるという視点を持たず、だからそんな程度なのである。次に

「「いきめやも」の解釈は文法の間違いだ、という事でいいのですか?」

「はい、明らかに間違っています。」

そう先生は断言した。

「私の素朴な疑問なんですが、堀は旧制中学、旧制高校、東大国文です。「や」が反語なんてのは今時の中学生でも分かる事。そんな初歩的な間違いをするのでしょうか、信じ難いのですが」

先生は堀が卒論で芥川を取り上げた事のように、突拍子もない事をする堀だから、そんな間違いをするのも仕方ないというふうにこじつけてしまった。

確かに現存する作家を卒論対象とするのは珍しいが、別な話である。

「堀が卒論で芥川を選んだ理由はお分かりですか?堀が芥川の自殺にどれほど苦しんだかお分かりですか?」

と私が言うと、今度は二十年ほど前、中西が「堀辰雄は大変な間違いをした」という話を出してきて、やはり文法的な間違いですと断言する。

「そうですか、中学生も分かる事を堀は自分の代表作の重要なところに入れた訳ですか。彼の周りには非常に優れた作家たちも居て」

「堀に気を遣ったんじゃないですか?」

「繰り返しますよ、そんな初歩的な誤用を帝大国文の堀がしたという事ですね」

とにかく先生は頑なである。説明どころじゃなくなった。
バカじゃないのか、大西も大野晋丸谷才一も。


では何故そのような誤用が堀の代表作で使われたのか、そもそも誤用なのか、堀は敢えて反語の「や」を使ったのか、私としてはそれを議論して初めて文学論となると思う。誤用だと騒ぐだけでその「誤用」の実相を考えない愚かさに辟易した。

中学生でも分かる、そんなレベルでしか文学作品を読めないのか?という皮肉を私は込めていた。

先生も憮然たる有様、マトモに答えられなかった。聴講者を舐めてんのか?そうそう、この女子大の先生は堀の20歳頃の姿に対し「若造が」と口を滑らせた。
この人、どんな授業をしているのかも心配になった。

イカれてる。

時間が過ぎて先生は新幹線に遅れてはなりませんので、とスタッフが耳打ちしてくれて、私は先生に挨拶をして終わった。

最前列に座る私を横目に出て行かれた。せっかく先生の為になる質問(講義の始め、先生はそれを期待しますと言ったくせに)をしてあげたのに。逆恨みか。
アハハ。


まぁ無残な講義であった。帰りしなスタッフに済みませんねと挨拶したら恐縮なさっていた。スタッフ皆さん当然堀辰雄への造詣は深いのです。まぁこんな事もあるさ、現代だもの。

但し、無意味ではなかった。私は堀辰雄漢詩への傾斜を殆ど無視していた。上記の「我思古人」など自分なりに堀の心中を理解するのに役立ったのである。その点は感謝。


以上、ホテルのベッドで横になりながら書いた。忘れないうちに。月は昨夜上弦、弓張月か。

f:id:pakin:20201024224123j:plain