pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想8

 

夢 五


 貴方にも聞こえますか。緑なす山々の声や吹き渡る青嵐の声を。母に抱かれて眠っている時に聞こえてきた声は雨だれの声。跳ねるように踊るように耳元をくすぐりました。また月明かりの声が木々や草花をしっとりと潤すように身に染みてまいりました。 声の導くままに遊びながら

お前はだれ?
お前の帰るところはどこ?

 目覚めると声の貴女は微笑むばかりで消えていました。音はいつも私に語りかけ、私が問うと消え、音はいつも静寂の底に私を誘いました。そう、音は静寂の声でした。 


 ある年の春に母はまだ幼い私に琴の手ほどきをしてくれました。琴の、なんという甘美な音でしょうか、私は陶然とその音に酔いしれました。一つの音が琴から空に舞い始めます。
しだいに、重なる音が群舞を始めます。まるで桜の花が一陣の風に舞い散るように薄桜、淡紅藤、韓紅 、若紫、翡翠色 ・・・音は様々な色をまとい舞うのでした。様々な色の薄衣を纏う音の主たちの宴が始まります。華麗なそんな音たちですが、音をはじき出す度に静寂はまた底しれず深まっていったのです。そんな静かさは孤独をしらぬ私の大切な友でした。

 折に触れ、琴を習う時でさえ、そのような静けさをも楽しみ、音の声に心を傾けました。
やがて私は雅楽頭であらせられた源範基様に琴を導かれてお教えを頂きました。まだ幼ない私に老いたる源範基様はまごころのままに難しい奏法や曲をご指導くださいました。どのように間違えてもただ見守るように、まるで赤子をあやすようにお教え下さいました。

 時が惜しい、そう仰る源範基様は私に急くようにお教えを下さりながら、数年ののち来世へと旅立たれましたが、家伝の秘曲と呼ばれている曲を最後に賜りましたことは私の生涯の宝となりました。そしてまた、死というものの悲しみを初めて教えていただいたのでした。

 世はまさに末法の世でしたが、私は当時未だ家の外の世界も何も知らぬ幼い娘でした。
琴に夢中となりそして物語の世界に浸り、母と様々な歌集をもとに和歌の世界にともに遊んだものでした。竹取物語伊勢物語源氏物語・・・女房たちの日記文などもおもしろおかしく読みふけりました。それらの語り掛けてくる言葉は玉のごとく私の胸中に沈んでいくのでした。音も言葉も文字も命だと知ったのは後のことです。

 ある時のこと、几帳のかげで私はいつものように雨の音に耳を澄ませておりました。そして気づいたのです。蕭々と前栽に降り注ぐ雨の音には、もはやかつてのような声は聞こえませんでした。ただ静けさの遠くに潜む何かが、私を誘うようにその微かなほほ笑みを感じさせるのでした。

 

 

 

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