明け方に目覚めました。床の中で耳を澄ますと鴨川の流れる音が聞こえます。帳が時折の風に揺らいでいます。我が家で養生していた時もこのような安らいだ目覚めは、ありませんでした。夜な夜なの悪夢に苛まれては目が覚める日々から漸く眠りが得られるようになったばかりでございました。わずかに昨日一日、一夜、都から離れ、たった一日ですが、初めて宮仕えではない自由な外の世界に触れ、また、頼政様、兼綱様方の身に余るお心遣いを頂戴し、私の心は春の日差しに溶ける氷のようにゆるゆるとほぐれていくのを感じたのでした。また、久しぶりに会った成清の精一杯の気遣いも嬉しいものでした。
「姉さまが旅に出られるほど良くなられてこんな嬉しい事はありません」
私に対しては昔から素直にすぎるほどの物言いだった成清は今も変わりません。異母兄たちに長年いみじき仕打ちを受けてきた成清でしたが、ようやく権別当の職に就いた今は一段と生来の朗らかさを取り戻しているようでした。
「鴨川からは舟に乗ります」
門で兼綱様がおっしゃいます。まことに精悍なお顔と堂々となさった大きなお姿。白藍の直垂が朝日をうけて輝いてらっしゃいます。桟橋につながれた舟に乗るのも初めてです。一人乗るたびに大きく揺れます。胸がどきどき鳴ります。
兼綱様、康忠殿、成清、と私が同じ舟に、仲光殿、渡辺競殿、清親殿は前の舟に乗ります。うららの春の霞も漂う中で船頭の櫂の音が川面に伝わります。こわいながらも心が高揚して川面の済んだ光や岸の葦辺の光景に目を奪われていました。
「お姉さまは舟下りも初めてでございましたな」
成清が笑いながら私の手を取って舟に乗せます。
「昨夜はよく眠れましたかな。万事慣れぬ旅でございましょう。」
珍しいお茶や食事、お土産のお人形の礼を言いました。そう、あのお人形はお伴くださっている清親殿に預かっていただきました。万一にでも壊したりしたら悔やまれます。
そんな時でした。迂闊な私は、兼綱様は丹後守源頼行様のご子息で、頼行様が保元の乱に関わってご無念の最期を遂げられたのちに、頼政様の養子としてお過ごしであったことは思い出しておりましたが、後の世に後鳥羽院にもその歌才を愛された、宜秋門院丹後と呼ばれた方の弟君でもあったのです。記憶が蘇り始めました。優しい歌心を機知に富んだお歌にお詠みになった宜秋門院丹後様のお歌の一つがこのお歌です。霞にくもる有明の空・・・朝方の目覚めの時にもふと心に浮かんだ歌でした。
春の夜のおぼろ月夜やこれならむ
霞にくもる有明の空
宜秋門院丹後
「このお歌は兼綱様のお姉さまのものでしたね」と、前に座っていた兼綱様に問いかけると、
「はい、私はただの武辺者に過ぎませぬが、姉の歌は承知しております」
「私もお姉さまのお歌は大好きなのですよ。お優しいお心にあはれが深く染み透った美しいお歌と存じております」
川べりの葭の流れるなか、葉ずれの音がゆっくりと動く櫂の音とともに青い空に流れていきます。
「我が姉も九条様にお仕え奉って後、苦労の多い暮らしであると聞いておりますが、小侍従様のようなお歌が詠めるようになりたいと、その希望を支えにしておるようです。いや、お世辞ではござりませぬ」
「丹後様のお歌ですな、まさに春の美しさが溢れておりますな。無風流な拙者にもわかりますぞ。そう言えば」と成清が口を挟んできます。
「う〜ん、そう、待宵の小侍従!そう聞いておりまするぞ、姉様、待宵の小侍従、姉様が宮中でそう呼ばれているのを聞いて私は飛び上がらんほど嬉しく思いましたぞ、いや嬉しや嬉しや」
「それで、待宵の、とは如何な事でござりましょうや」
兼綱様がおっしゃいます。
そのような・・・十年以上も昔の話をされるとは・・・
己の歳も忘れて恥じ入ってしまうのでした。心地よい風に笠の垂絹がふわりとあがります。