pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想40

 

        世の中は夢かうつつか 
            うつつとも夢とも知らずありてなければ

 

 このお歌は古今集の中の一首です。どなたがお詠みになったのかは定かではありません。 夢かうつつか・・・私は、私達はその境をどう見ているのでしょうか。実はそこに境などない、「ありてなければ」なのですね。
居て、居ない・・・在って、無い… いえ、こうしている私がうつつの身であり、眠りについた中で見るものを「夢」と普段は思うでしょう。そうではあるのですが、またそうではないと感じる不思議な思いはどこから来るのでしょうか。あの愛らしい唐の国のお人形は、確かに私の手のひらにぬくもりを与えてくれます。かの国のお歌さえ聞かせてくれました。ありありとその微笑みも歌声も思い出せます。我が娘を掻き抱いたその胸いっぱいに広がるぬくもりもまことの思いでした。

 夢から覚めて夢の世界は消えますがそのまことの思いはこころに残ります。久しく会えずにいた亡き娘やもろびとをあの唐の国のお人形は呼び出してくれたのです。まだ子どもの頃・・・私は書物が大好きで、ある時父の書庫に忍び込んで、というのは、立ち入りを禁じられていたからですが、その書棚に積まれた山のような書物の中でふと、とり出したのが『莊子』という書物でした。


 女子は漢籍など嗜むものではないと父から諭された事が前にも在りました。私にはその漢語の世界になんとも惹かれてしまっていて、父に無理やりその漢字や漢文の読み方を教えていただいたりしたものです。父には全くしようのない娘じゃ、おてんば娘が、とか言いながらまんざら嫌でもないというふうにお教えいただいたものです。母がちらりと部屋を覗いてはお笑いになっていたのを懐かしく思い出します。

 

 さて、その『莊子』には「朝三暮四」などというお話があって私も可笑しくて手を叩いたりしました。

「これはな、お猿さんだけの話ではないぞよ。その愚かさは人も同じじゃ。我々人間というものは愚かなものよなあ」
などと父も笑っております。

 

 そして「胡蝶の夢」のお話です。

 

「荘周という人がの、ある時自分が蝶になった夢を見た。
彼はひらりひらりと思うがままに木々や花々の間を飛び廻り、あなうれしあな楽しと思うままに自分が荘周であることをすっかり忘れ果てておった。俺は蝶なのだ!自由に空を飛びまわる蝶なのだ!ああ俺は自由なのだ!そうやって荘周は自分が人間であることさえ忘れてきままに飛び回っておった」

 

 父は立ち上がり手を広げ部屋中を飛び回る蝶の真似をして私を笑わせます。
その様子があまりに可笑しくて私も父と一緒に蝶を舞ったものです。

 

「ほら、花じゃ、蜜じゃ、さあおいで」

 

 父は庭に飛び出しました。
父は私を前栽に誘い、萩の花の蜜を吸う蝶の舞です。私も飛び出し両手を広げて舞ながら父が育てていた菊の香りを楽しみます。

 

「ところがじゃの、夢じゃからのお、どうしても覚めねばならん。荘周は夢から醒めて自分が荘周であると思ったのじゃ。さあて夢の中で蝶、目覚めて荘周、そこで莊子は言うのじゃ、

「荘周の夢で蝶になったのか、蝶の夢で荘周になったのかわからないではないか」

 莊子はなあ、ここで蝶という主体と莊周という主体をひっくり返して見せるのじゃな。なに?蝶が夢を見るの?うん、蝶が夢を見ないと決めつけては面白くないのう、それじゃあのお猿さんみたいじゃ」

 

 父は笑いながらお話してくれます。

 

「肝心なのはの、物化と最後に莊子は書き記すのじゃが、その物化、物が変化するということじゃ。あらゆるものは変化する。そうじゃろ?お前もちょっと前までは読み書きも知らぬ、琴も弾けぬ赤子じゃった。わしもな同じじゃ。いや、人間だけではない、あらゆるものは、たとえ木石や金物といえど変化する。さて、ちょっと難しくなったがの、莊子は夢もうつつも同じじゃと言っているのだ。そうだろう万物の生々流転変化の中ではなあ・・・無常でもあるなぁ」

 父はそこで思いがけず深い溜息をつかれました。
幼い私にはその意味はまだわかりませんでした。さて、先にあげたお歌、「うつつとも夢とも知らずありてなければ」はそのような莊子の胡蝶の夢のお話を踏まえておられるのか、または仏典からか・・・ 私にはそのお歌のこころが重く伝わってまいります。

 

 

 


写真 吉野