平経盛さまは藤原清輔さまとともに太皇太后宮大進として太皇太后多子さまをお支えなされていらっしゃいます。またお二人とも優れた歌人として、多子さまの小侍従として勤める私をもお歌のお導きをいただいていること、この上なくありがたいことです。
薄暮のせまるころに、別荘家人佃明弘さまのご案内で入った広間にはすでにいくつもの大殿油が灯されておりました。
「小侍従さま、皆さまにはお越しいただきありがとうございます。主人平経盛より厚くおもてなしせよと仰せつかっております。何なりとご遠慮なく仰せつけくださいませ」
訥々とした話しぶりながらもご老人の誠実な情が伝わってまいります。そういえば経盛さまも同じようなお人柄です。誠実で思いやりの深い方です。多子さまはそのような経盛さまにたいそう信頼を寄せていらっしゃいました。今回、私のようなただの女房に過ぎない私に厳島参拝をお勧めくださいましたことも経盛さまのおやさしいご配慮でした。
「伺いますところ、前夜も宋の調理人袁忠による夕食をお召し上がりになられたとか。今夜もまた彼の調理する夕食をと石清水八幡宮別当成清様からご指示いただきましたので、当荘にてご用意させて頂きますものは袁忠差配としてご理解くださいませ」
やや腰の曲がっている明弘さまは平伏のままでしたが、兼綱さまが、
「座りなおされよ。小侍従様は公として参られるのではない。私的な厳島参詣に向かわれるのだ。堅ぐるしいのはここまで。拙者らも堅ぐるしいのは苦手じゃからなあ」
居並ぶ皆さまも微笑んでおります。兼綱さまは私の健康をご案じくださっているのです。旅に出たからには日ごろの憂さを忘れ楽しく過ごしましょうぞ。そう仰っていただいていたのでした。
「それは申し訳ござらん。主人、平経盛様よりのご下命により拙者も緊張しておりました。せっかくの夕餉、小侍従様はじめ皆さまお寛ぎのうえお楽しみ願います。まずは田楽の座を招いておりますゆえお楽しみください」
明弘さまが手を叩いて合図すると女房たちが茶を運んでくれます。そして都でも流行りの田楽舞いの一座がお庭に現れました。大きな松明がお庭の四方に置かれ明るく照らしています。きらびやかというか奇抜な笠、被り物、派手な色に飾りをつけた衆が十数人でびんざさらや笛、腰鼓、鉦などの音曲で踊り唄います。ゆっくり輪になったり対面から交差したりします。被り物には八咫烏や鬼などのものから花飾りで、ゆっくりとした動きが多いのですが突如激しい舞いとなったりします。もともとは田植えのきつい働を励ます神事のようなものだったと聞いておりますが、いつごろかかような賑やかな芸へ変わっていったとか。近年では永長の大田楽と呼ばれる、天皇へのご覧に供した大掛かりな田楽が貴族らによって催されたとか。
曲芸も入って驚きの芸が次々と披露されていきます。あら、あの子たち・・・文徳さまのお子さんたちもいつの間にか庭の隅に入っていて、手を叩いて喜んでいます。
写真 王子神社田楽舞