pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想47

・ 


 どこやらか琴の音が響いてきました。


「さあ、これから夕餉といたしましょう」


 明弘さまが手を叩くと給仕の娘たちが一抱えもありそうな酒瓶をいくつも廊下に並べ瑠璃盃を高坏に置いていきます。

 

 文徳さまがおいでになりました。

 

「本日も私どもをお使いくださり、ありがとうございます。また先ほどは子どもたちも楽しく過ごさせて頂いたようで感謝申し上げます。日ごろ店の手伝いばかりで遊ばせる機会がなく、賑やかな音曲の響きにつられて子どもたちを行かせました。戻ってきた子どもたちは目を輝かせておりました。さて、今夜は小侍従様には麗子佳人という、小侍従様に相応しい名のお酒を、これは名も麗しく甘く飲みやすい酒です。また薬効も高い」

 

 あら、文徳さまは生真面目一方の方かと思っていたらお世辞も言うのですね。でも真面目なお顔でおっしゃるので可笑しい。このお酒、昨夜頂いた葡萄酒と同じくらい飲みやすく香りも高いです。これは何をもとに作られましたかとお聞きすると桑の実から作るとか。宋のお国は何でもお作りになるようです。景徳鎮産とお聞きした器も見事とお伝えすると、いや、それぞれのお国の特産品はみな素晴らしい、例えば日本の刀剣や絹織物の美しさは天下第一でしょう、刀剣は我が国では美術品扱いで大切に保管されていますし絹織物はもちろん貴重品です。それをお聞きした兼綱さまも皆さまも頷かれます。お話は絹の道と呼ばれる壮大なお話に広がります。何千里も続く道、西域と呼ばれる地に続く道・・・ため息の出るような、私には幻想も及ばないほどのお話が・・・

 

「なるほど、そういえば我が国の記録にも西域の人物とみられる方々があったな」
兼綱さまがおっしゃいます。

 

「はい、たしか、私の知るところでは、鑑真和上に随行した如宝とかいうお方は唐招提寺の発展に大きく貢献されたとか。彼はおそらく西域の生まれかと読んだ記憶があります」


 康忠さまがお答えします。

 

「ああ、律宗の鑑真様ですね。彼が日本に渡ったというのは大変な事でした。国禁を破り渡航したわけですから。しかし、その如宝という人物は初めて聞きました」

 

「そうだろうな。如宝が日本に渡った時はまだ二十歳ほど。貴国の史書に名を刻まれる歳ではないな。文徳殿も知るわけもない。しかし、鑑真和上の愛弟子だったそうな。和上の入滅後、唐招提寺の発展に生涯をささげたそうな。和上と如宝殿が広めた戒律によって我が国の仏教もようやく不届き者がいなくなってきたらしい。なにせ税金逃れで僧になる輩が多かったらしいからな。まあ、とは言っても、それは厳しい税で苦しんだ人々のこと。偉くなった僧侶の悪行はまたそんな不逞者の罪よりはるかに酷いわな」
兼綱さまがおっしゃいます。

 

「そうそう、我が国も同じですよ。特に儒者は」

 

「だろうな。権力というのは難しい。すぐ腐る。腐る権力に結び付けばまた腐る、その繰り返しだな」

 

 兼綱さまも文徳さまもひとしきりそんな話をなさってましたが、私が所在無げな顔をしてしまったのか、話題を変えます。気になさらずともよいのに。まつり事の話は頼政さまや忠度さまにもたまにお聞きしたり、私ごときでも、他いろいろと聞いて少しは知っているのです。

 

「まったくなあ、小侍従様警護の仰せで実に良い旅をさせて頂いておるわい。なあ康忠殿」と兼綱さまが盃をぐいぐいあげながらおっしゃいます。

 

 「まことそうでござるのう。しかも文徳殿の連夜の料理、我々は日ごろ出されたものはありがたく頂くのみ。味がどうのという習慣はござらんが、いや、文徳殿の料理は美味い!酒も美味い!じつに、いや、正直に言いたくなったぞ文徳殿、あ、昨夜から言っておったな」座は笑いに包まれます。

 お料理は昨日にもまして次から次へと運ばれてきます。私はとても食べきれませんが、文徳さまは、どうぞそれぞれ一口だけで結構ですのでお召し上がりくださいとおっしゃる。残すことに抵抗感の拭えない私に、それぞれ少量ずつお持ちくださる。残すのは失礼という文化と残すのが文化という、文化の違いなどが面白い話題となったり、賑やかな宴です。

 

 文徳さまもすっかり皆さまに打ちとけていらっしゃいます。

 



写真 吉野