pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想50

 平家の方々の別荘の並ぶ中にその湯屋がありました。宴の途中ですが湯屋の女房がおむかえに来て下さりました。もう宴は殿方にお任せです。

 

「今夜は湯屋にてお休みあれ。予定が変わり突然の元服の儀、おそらく朝から慌しいことになりますゆえ、まことに心苦しく存じますが。兼綱様ともそのように話した次第です」

 屋敷を出るときに明弘さまがおっしゃいます。それは私も考えておりました。せっかくの元服の儀、お邪魔になってはいけません。明弘さまのお申し出をありがたくお受けいたしました。

 

 月明かりの道をお迎え頂いた女房と湯屋に向かいました。近くには清盛公の別業すなわち別荘もあるそうです。ほどなく湯屋に着きました。これが湯屋とは・・・大きなお屋敷のようです。堂々たる門構えを入り石畳の上を歩いて湯屋に向かいます。左右のお庭は大きな石組に池をあつらえて大きな赤松がそびえています。その池に赤い花が落ちていました。大きな石灯籠の明かりの下、薄暗い水面に幾つもの赤い花・・・椿でした。 池の背後を囲むように椿が植えられていたのでした。石畳の道の両側には石灯篭が並び、その灯火が明るく道をつないでいます。玄関を入るとすぐ女房の案内で左の回廊を渡り浴室に入ります。

 これが浴室・・・広い・・・回廊にも浴室にも燭台に蝋燭が整えられて炎がかすかに揺れて影を動かします。蝋燭は仏教伝来の頃から遣唐使の頃まで我が国にもたらされていたと聞いております。目の前に灯されているのはやはり宋から輸入したものと女房に教えられました。檜の香りに満ちるなか、控えの間で女房に手伝っていただいて浴室に入ります。湯煙のなか、湯舟と呼ぶ大きな浴槽が真ん中に誂えられています。驚くことばかりですが、湯口と申すところから湯が滔滔と流れて、湯は浴槽からあふれ出たまま・・・地中から湧き上がって止むことはありませぬ、そう聞かされても・・・お茶碗一杯のお湯がもてなしとなる世です。贅沢にしか見えません。貴方からは笑われるでしょうね。椅子に座り、女房に着せて頂いた湯着なる薄絹をまとったまま後ろから湯をかけて頂きます。温かな湯が薄絹を通して肌に流れます。

 

「では、小侍従さま、ご随意にごゆるりとお過ごしくださいませ。湯舟にはそのままお入りください。ご気分で上がったりまた入ったり、湯は女人の方にもお身体に良い薬効もあると喜ばれております。では控えに居りますので、出られるときはお声がけくださりませ」

 

 おそるおそるつま先で湯の深さを確かめながら入りました。湯は腰を下ろすと胸の高さです。少し冷えた体が湯の中でゆるりとほぐれていくのを感じます。両手で湯を掬い少し口に含むと爽やかな味がします。温泉水滑らかにして凝脂を洗ふという長恨歌の一節はこのような感じでしょうか。湯は肌から染み入るように、心まで温かくしてくれます。壁の四方に設けられた燭台の明かりが湯煙の中でふくらむように揺れます。時おりやや高くある格子窓から風が吹き込むたびに湯煙は姿を変え明かりを揺らし流れます。思わず手足が湯の中で伸び身体中の力が抜けていきます。ほう・・・っと息が深くなりました。ああ、兼綱さまがおっしゃっていた、疲れを癒すとはこういうことでしたか。

 少し温めのお湯に浸かっていると格子窓から一匹の蛾が飛び込んできました。色模様の美しい蛾でした。湯煙のなかを消えたり現れたり、ゆっくり舞いながら燭台の明かりに誘われるように近づいて、炎の周りをくるり廻ります。炎に焼かれないようにねとはらはらしながらも、その美しい光景に見とれておりました。格子窓からまた風が吹き込んだ時に湯煙のなかにそのまま蛾は消えてしまいました。夢を見たのでしょうか。湯煙の飛ばされた窓から月明かりが差し込んでいました。

 

 湯から上がると控えの間で女房が着替えの新しい衣を着せかけてくれました。装束一式ご用意しております。明日またお着換えくださいと伝えられ、かたじけなさに胸がいっぱいになりました。しかしなんという心地よさでしょう。温かくなった体はまだ湯の中にいるようです。寝所に案内された私は横になるとそのまま深い眠りについたのでした。