pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想53


「さて、皆さま御神酒も召されたようですので、別室にて祝膳をご用意いたす間、今様をお楽しみ下さい。白拍子、藤白によります」と佃さまがご案内なさいます。

 

 今様・・・都を出るときに会った祇王・祇女の今様を思い出しました。たった三日まえのことなのになにか遠い昔のようにも感じるのでした。

 

 座は緊張がほぐれにこやかな雰囲気で今様を待ちます。佃さまはご家中の方に手配なされて、庭や門口で一緒に元服を見守った方々になにやら配っておられます。ああ撤饌された唐菓子ですね。ぶと、と呼ばれる揚げ饅頭がおひとりずつ配られていきます。


 わいわい賑やかさを取り戻します。するとご家中の方のお一人が廊下に座っていた犬丸、あ、もう文祐さまとお呼びせねばなりませんが、文祐さまの弟たちに庭に降りるよう話しています。みな降りると、庭で見ていた方々の子どもも集まってきました。ご家中の方は竹に刺した赤い実のものを一本一本子どもたちに配っています。

 

「ああ、あれは氷糖葫芦、たんふーるという宋のお菓子です。さんざしの実を飴にくるんだものです」と文徳さまが教えてくれます。

 

「宋人町の菓子屋で見つけたものでございます。あ、これは子どもたちに良いかなと思案した次第で」と佃さまがおっしゃいます。


 佃さまのおっしゃる通り、子どもたちは歓声をあげて受け取っています。串に赤い実が五つほどきらきらと輝いて・・・美味しそう!ですが私は我慢我慢です。廊下で見ていた文祐さまにも一本差し出されました。烏帽子を被った文祐さまは照れ臭そうにしていましたが受け取ります。お父上、美味しい!文徳さまも皆さまも微笑んで見守ります。

 

「では今様が始まります」という佃さまのお声がけで座は元の位置に戻ります。鼓や笛の音とともに藤白が扇を手に詠い舞い始めます。

 

鈴はさや振る 藤太巫女目より上にぞ 鈴は振る
ゆらゆらと振り上げて 目より下にて鈴振れば
懈怠なりとて 神腹立ち給う

 

これは、自分がいい加減な舞いをしては神様にしかられますよという、軽い笑いの今様ですね。笑いがあちこちこぼれていますが、あら、仲光さま清親さまはどうやら見惚れていらっしゃる。


 まさに白い藤の花の優美な舞い姿、そして鈴のような歌声。立烏帽子に真白の水干を単にかぶり、赤の長袴に太刀を佩びる姿は凛々しくもあり、却って艶ありとも感じさせます。扇は空を舞いまた空を切るように動き、花であり刀であり、そのしなやかな手のままに心を伝えてきます。その詠いの抑揚強弱も華麗な変化を聴かせてくれます。和歌の朗誦とは明らかに違います。なるほど、その踊りの空間の中での劇的な現れです。人々に絶大な人気を得たのもわかります。後白河天皇さまが今様に憑りつかれていらっしゃるのは有名な話です。

 

 その今様ののち忝い法文歌が続き、居並ぶ皆さまはじめ庭でご覧になっている方々の中にはお手を合わせていらっしゃる方も見えます。その法文歌の結びを白藤は次の歌で
しめくくります。


空より華雨り 地は動き 仏の光は 世を照らし 
弥勒文殊は 問ひ答へ 法華を説くとぞ かねて知る


 ああ、法華経・・・一〇年ほど前に平家一門が総力を挙げて厳島神社に納経なさった、それは見事な装飾経を思い出します。平経盛さまに多子さまとご一緒にその一巻を見せて頂いたことがあります。本紙や紙背さえも金箔銀箔が惜しみなく使われ、その上に華麗な色彩でやまと絵が描かれています。達筆な文字も金泥や銀泥はおろか緑青や藍を使い驚くべき美しい装飾経でした。その納経の清盛公の願文に善美を尽くすとお書きになられた意思が伝わります。白藤はおそらくその納経を念頭に詠ったのでしょう。

 

 


写真 平家納経フリーより