pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想58

「日本に来て以来も店に忙しく余裕はありませんでした。忙しく資金を蓄える目的は十分果たせたのですが、西行様と子どもたちとの出会いで私に欠けていた大きな問題に気づかされたわけです。人は何によってみたされるのか。それは私にとって子どもたちでした。

 

 無心である人間としての存在、儒教も仏教も道教も目指したその境地は子どもによって体現されていたという、まさに自分の足元にそれはあったのです。寒山拾得の世俗超越の伝説もそれは同じと見ました。無心を表した寒山拾得とは私には子どもたちなのです。本日をもって文祐は拾得を卒業ですが、まだ五人の拾得がいます」
そう言って文徳さまはお笑いになります。


「なるほど、一昨日の夜の文徳殿のお話、義塾を開き子どもたちを教えたいという意味が。十分分かり申した。たしか空海様のお話も出た」兼綱さまが頷きながらお話を受けます。

 

空海様の綜芸種智院。そうその空海様の綜芸種智院式并序はこれまた名文であった」

 

「それは私も拝読しております。

 

禽獣卉木(きもく)は皆是れ法音なり

乾坤は経籍の箱なり万象一点に含む

 

 これはその綜芸種智院式の述べられている『性霊集』の一文です。鳥や獣、草木に至るまですべて法音、すなわち清らかなまことの知の存在なのです。天地すべてその器であり、言葉もそこから生まれる。一点、たえば【あ】にすべてその知は籠められているのです。

 

 鳥のさえずりや獣の声、風にそよぐ草木の葉擦れの音も同じでした。そして私はそれを無垢な子どもの姿に見出したのです。人は生きるために様々な経験の中でその無垢な知を忘れ禽獣卉木の、万象に潜む命の知を忘れてしまいます。知るとはただの生きる術として価値を持つようになります。それは大事はありますが、一方、空海様の仰る通り、万象に潜む自性清浄心を持たねば心の、道を求める役にはたたないということです。私はその意味を子どもたちによってようやくにして悟った次第です」

 

「まことに、こうして振り返って観れば、万象命を産まざるものなく、命を産むものすべてに自性清浄心は備わっている尊いもの。すなわち万象、禽獣卉木、母なるものすべて仏性であり、その子もまた同じなのでした。先ほど申したこと、この子たちと出会って以来、初めからずっと嬉しく幸せだったという私の胸底に湧き上がってきた思いはそのようなことだったと気づいたのです。私は子どもたちを教えたい。その清らかな無垢の知を守りたいと願うのです」


皆さま静かになって文徳さまの周りに集まっていらっしゃるので、お庭で遊んでいたおちびちゃんたちまで来てちょこんと座っています。

 

 


写真 信州横谷峡