pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想59

 

「申し訳ありません。理屈ばかりこねて。なに、簡単に申せばこの子らが可愛くてしようがないというだけの話した」

 文徳さまは照れ笑いです。

 

 いえいえ、貴重な良いお話を頂いて嬉しい限りですよ。これほどまでに心惹かれるお話はありましょうか・・・西行さまのお話も文徳さまご自身のお話も・・・文徳さまの来し方と文祐さまご兄弟のお姿に文徳さまの言葉が共振しているのです。雛が母鳥に抱かれるように、空の蒼さに抱かれるように。

 

「そうでござったか・・・わしは福原において貴公をずっと袁忠と聞いており申した。この場でその委細わずかに分かり申した。ご苦労なされておられたな文徳殿」と明弘さまがおっしゃいます。

 

「さすれば文徳殿、今後、貴公は宋の同志のもとに戻られるというお考えを聞き申したが・・・」

 

 兼綱さまは皆が疑問に思ったことをお尋ねなりました。そうです。子どもたちはどうなるのでしょう。

 

「私たちはみな父とともにどこへでも参ります。以前は私に店を継げという話だったのですが、父の宋への帰還の話が具体的になり、再度、昨夜のことですが、元服の儀の説明のあと、父と話し合いました。これは私と弟たち全員の希望です。いや希望ではなく私たちの心からの願いです。なあみんな」

 

 文祐さまが弟さんたちに振り向いて話すとみな一斉に頷きます。

「一緒に行く~~!」おちびちゃんたちが眼を輝かせて叫びました。座は笑いに包まれます。

 

「文祐が申し上げたとおりでございます。私はその事にずっと悩んでおりましたが、昨夜胸の内を打ち明けてみるとあっけないほど簡単に話は決まりました。もう悩みません。ただ子どもたちを連れて渡航するのが・・・」

 

「いや、もう安心じゃ。文徳殿。南宋政府もすでに官僚たちが様変わりした。文徳殿たちを執拗に付け狙っていたという官僚たちは二年前に一掃されたのじゃ。明州はもとより宋全体文徳殿らにもはや危険はない。むしろ貴殿はかつて靖康の変において金国侵略と戦った李綱様を支えた功労の士である。まだ日本との正式な国交は開けておらぬが、日本との交易の重要性は政府も十分認識しておる。いま、清盛公のもと交易量も飛躍的に増加し友好関係の強化も図られておる。なに、儂は日本での綱首を束ねる者、明州の港湾当局にも話は通じる。文徳殿の今の話、心に沁み申した。明州渡航の際は任せてくれ。なに、儂にもひとつくらい善行を積ませてほしいものよ」蔡さまはお腹をゆすってお笑いになります。

 

「蔡殿のおっしゃる通りですよ。しかも宋はいま歴史的にも最も充実した内政と外交で、平和で豊かに文治主義を貫いております。確かに宋日間の国交は残念ながら未定ですが、皆さま、史文徳一家の入国は蔡殿の差配です、ご安心ください」

宋人町のまとめ役という兆さまがにこにこと子どもたちを見まわしながらおっしゃいます。

 

 

 

 

写真 横谷峡