pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想60

 

「貴国での生活で安全が保障れていたとは良かったな。まずは一番の不安だったろう。しかし、子供らにとって異国、たしかに幼い子まで大勢引き連れて行く不安は大きいだろうの。文祐は分かるだろうが、幼い子に、至る処青山有りとは言えぬからな。しかしな、この子らは世の子どもとしては一番辛く悲しい経験をした。いま、文徳殿の子となってそれ以上の幸せはないだろう。苦労はどこでも同じ。しかし文徳殿との暮らしの中ですべての苦労は大きな実となる。まあ、つい不安も浮かぶは当たり前じゃが。

 文祐よ、弟たちを頼んだぞ。お前たちの前途は洋々たるものを感じる。今も我が国から決死の覚悟で宋国に留学している者もいる。たしか栄西とかいう若い僧じゃ。一度見たことがある。一見謙虚な様子だがな、実に生意気そうでな。挑むような目つきで肩を怒らして歩いておった。わはは。若さが全身漲っておった。まあ、それくらいでなければ留学は達成できまいが。遠く遣隋使やら遣唐使みな同じじゃ。先ほど話に出た空海様もおそらくそうであられたろう」

 

 いかつい兼綱さまがお優しいお顔で文徳さまやお子さま一人一人の顔を覗き込みながらお話さいます。ご自身も父上を処刑されて後に源頼政卿のご養子になられていらっしゃいます。文徳さまのお子たちの気持ちがよくお分かりになるのでしょう。

 

「まことに急転直下とはこのことだな。いやはや驚き申した。昨夕に元服の話が出て今日の元服の儀が終わったと思うたら今度は文徳一家の宋への渡航の話とか。いやあめでたいめでたい。長生きはするものじゃなあ。拙者も若ければ留学したかったぞ。文祐殿。実に羨ましい。昨夜来いろいろお聞きしたが、西行殿と文徳殿の出会いからこの佳き日まで、そうだ、この日のためにあったのかと思えるような話じゃった。

 拙者は小侍従様がいらっしゃると聞いた日、かれこれ三月ほど前じゃが、なにか胸騒ぎがしてな。普通の客人をお招きするのではない。平経盛様ご直々の伝達、滅多にあるものではない。しかも音に聞こえし宮中の閨秀歌人にして、そう、昨夜の文徳殿の言葉で言うと確か、麗子佳人、であったかの。なにか佳きことが起きるのではと予感がござった。この歳でな、胸が高鳴るというか気持ちが高揚してくるのを感じたものじゃ。ああ、誤解なされぬように。小侍従様に懸想したわけではない、あ、いや、許されるなら懸想もしてみたい、あ、いや、そうではない。ああ、今様をまた見たい」

 

 明弘さまのお話は途中で支離滅裂の様相となりました。まあずいぶんお酔いになられ満座爆笑の渦ですが、明弘さまはまた相好を崩して喜ばれておられます。

 

「あはは、明弘殿が、恋しとよ~となられるのか、あはは、わしもなりたい、あはは、あれは麗しき白拍子の唄いであったからな。明弘殿の舞も美しかろうな、あはは。いや恋に歳は関係ござらんのう、いや実を申せばな・・・」

 

 真っ赤になった弟の成清が明弘さまの肩に腕を回し盃を交わしあって、なにやら秘め事らしき話をしています。筒抜けですが。皆さまは蔡さまや兆さまのお話に安堵なされ祝膳はさらに盛り上がりました。

 

 お子さまたち、せっかくの水干姿も崩して清親さまに飛びついたり、蔡さまの膝の上に座ってお腹をつついたり、あちこち鞠のように跳ね廻って元気いっぱいにはしゃいでいます。あらら、一番のおちびちゃん、競さまの膝の上で遊んでいて、先ほどからちらちらと私を見ていましたが、ちょこちょこと私の前に来ました。おいで、と手を差し伸べるとすぐに抱っこです。「あ、こら、菊丸!」と文徳さまが制止なさろうとしましたが、よいのです。待っていましたよ、おちびちゃん。

 お名前はと尋ねると「菊丸!」と元気にお返事できます。何歳?四歳!そうですか五歳くらいかと見当をつけていましたがあながち外れではありません。文徳さまのお店で一生懸命に野菜を水洗いしていましたねと言うと「うん、お仕事だもん、お仕事も好き!」と大きな目で私を見上げます。

 色白の華奢な体、女の子のように可愛い。幼い子を抱いたのは遠い昔以来のこと。腕の中でその感傷に少し浸らせてもらいました。好きなことは?とか、お兄ちゃんたちは好き?とかお喋りしましたが、ああ、疲れがでたのですね。瞼が重そうになったと思ったら腕の中ですっと眠ってしまいました。そのすやすやとした寝息がまた可愛いのです。あ~あ菊丸寝ちゃったと他の子たちも寄ってきて菊丸を覗き込みます。「菊丸は一度寝たら何があっても起きませんよ」と文祐さまが笑顔で教えてくれます。

 

 

 

 写真 横谷峡