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船は潮風を受けながら銀の波濤を割って進んでいきます。あの右手の浜が須磨です。まもなく左手の淡路島を抜けて行きます、と周さんがお教えくださいます。ああ、あの源氏の君が過ごした須磨・・・
生ける世の別れを知らで契りつつ
命を人にかぎりけるかな
源氏の君にそのように詠ませた紫式部さま。別れを知らで・・・まだ未熟さの残る源氏の君の詠嘆に
惜しからぬ命に代へて目の前の
別れをしばしとどめてしかな
と紫の上に詠ませます。別れの辛さを愛情の深さで乗り越える紫の上はさすがに素晴らしい女性です。そんな物語の情景も彷彿とさせる美しい須磨・・・紫式部さまはきっとその松林も歩かれたのでしょう。白砂青松そのものの須磨の海岸を・・・そう思いながら、私は海上からその舞台を眺めることができることに感謝します。
「お茶のご用意ができました。お部屋でどうぞ」と周さんが案内してくれます。つわぶきとお茶をいただいていると船長さんがお見えになりました。
「如何ですか、乗り心地は。初めてですと緊張もなさるでしょうが、何度も申し上げますがご安心ください。船員も選りすぐりです。むさくるしくお感じになられるでしょうが、みな海の男たち。気性も一本気です。船底の板一枚に我々は生きています。一蓮托生の世界では気心も通いながら我ら全員一丸となって航海を乗り切るのです。そんな船員たちをどうぞ温かく見守っていただければ幸いです」
私は船員の方々がどれほど精悍で純粋なのかすでに感じて居ります。子どもたちへの接し方だけでもよく分かります。たしかに荒々しい面もありますが、優しさを感じます。私にまで手を振ってくださることも嬉しいことです。船長さんにそうお伝えしました。もろ肌脱ぎ、日焼けした褐色の肌に汗を滴らせながら、ご自分の部署で精一杯お仕事なさって、それは眩しいほどのお姿です。そういえば川尻までの、福原までの舟の船頭さんのお姿にも同じく感じました。そしてたくさんの漁師さんたち。みな水の上です。宮中では想像もできなかった皆さんのお姿。
「そう仰っていただければ私も安心です。気の荒い連中でもあり、万一失礼などありましてもどうかご容赦ください。悪気は全くない善人たちです。あと、今後の予定をお伝えします。高砂、牛窓、室津、備前、安芸むま島などを経て宮島に参りますが、停泊は小侍従様のご希望でいかようにもなります。一応、備前の児島泊り、備後の鞆の浦には停泊予定ですが、いつでも近くに寄港できますので何なりとお申し付け下さい」