pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

『死の素描』



骨折からほぼ2週間経つが、痛みは少し改善してきたが、ほぼ相変わらずの状態である。火曜にレントゲン検査を受けたが接骨部位はそのまま。固定し我慢するしかない。

昨夜ベッドでうつらうつらしていた時だが、ふと(いつも「ふと」なのだが)肋骨の痛みから、堀辰雄『死の素描』という小品を思い出していた。


堀辰雄『死の素描』

https://www.aozora.gr.jp/cards/001030/files/47860_48370.html

この初期の作品は作者26歳の1930(昭和5)年発表となる。以前、大石紗都子武蔵野美術大学准教授の講演で「時代と空間を超える堀辰雄の”メルヘン”『羽ばたき』を中心に」を拝聴したが、『死の素描』はその「ファンタジー作品」に連なる。
ただファンタジーという言葉には気をつけねばならない。たしかにファンタジー的な世界を表現しているが、その世界の根底には堀の「死」の実体験が色濃く反映されている。とくに最愛の母と、師である芥川龍之介の死である。そこに自分の結核が襲い掛かる。7年前の1923年9月の関東大震災での母の溺死、その母を隅田川を何日も探し歩いて自身も衰弱していた堀には過酷だった。肋膜炎と診断され休学を余儀なくされた。そして1927年の芥川の自殺。23歳の繊細多感な堀を打ちのめすには十分だった。

その状況を前提に上記の『死の素描』や『羽ばたき』を読んだ。

軽やかに詩的にメルヘンチックに描かれた世界は堀の対象化された自己であり死の影であろう。その意味でゆっくり作品を味わっていただければよい。

それにしても・・・化膿した肋骨の切除・・・私の肋骨3本の単純骨折なんてまったく大したことはない・・・

そんなことをうつらうつら思いながら寝てしまった。