pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

カミュ『ペスト』メモ8 殺人乃至は死刑

以下、タル―の言葉


P289
「判事も気の毒だな」
「なんとかしてやらなきゃなるまい、先生のために。だが、人を裁く人間を助けるなんて、どうすればいいんだい?」                 タル―

このタル―への返答はタル―自身のリウーへの長い告白の中に現れてくる。

判事という「断罪者」、それはタル―が人生を変えた自分の父親像とも重なる。タル―は処刑される現場を見たのだった。人が人を殺人する姿から、彼は自分の家庭内での父親像と判事として「合法的」に殺人を命令する姿との乖離を思考した。


P292
「僕はこの町や今度の疫病に出くわすずっと前から、すでにペストに苦しめられていたんだ。というのは、まあ、つまり、僕も、世間みんなと同じようだということだがね」

ペストをタル―は「悪」の比喩として使う。


P298
「自分の生きている社会は死刑宣告という基礎の上に成り立っていると信じ、これと戦うことによって殺人と闘うことができると信じた」

「自分の生きている社会は死刑宣告という基礎の上に成り立っている」

この指摘は極めて重要である。これはナチスへの批判にとどまらず、国家とは何かという原点を示す。権力による死刑宣告は国家に殺人を許可するものである。殺人は絶対的な罪であるが国家として行えば「合法」となる理屈である。


P299
「君は人間を銃殺するところを見たことないだろうね」

P300
「その時僕は、その長い年月の間ーしかも全精神をあげてまさにペストそのものと闘っていると信じていた間にも、少なくとも自分はついにペスト患者でなくなったことはなかったのだ、という事を悟った。僕は、自分が何千という人間の死に間接的に同意していたということ、不可避的にそういう死を引き起こすものであった行為や原理を善と認めることによって、その死を挑発さえもしていたということを知った」

P301
「僕の問題は、いずれにしても、理屈をこねることじゃなかった。それはあの赤毛の梟(注、彼の父)だった。あのいやらしい事件ー毒をもったいやらしい口が鎖に縛られている男に向かって、お前は死ぬのだと宣言し、そしてその男が幾夜も幾夜も苦悶の夜を過ごしながら、はっきり正気のまま殺害されるのを待ち続けたあげく、実際そのとおりにに死ぬようにすべての手順を整えたーあのいやらしい事件だったのだ。僕の問題というのは、つまりあの胸にあいた穴だったのだ。そうして、僕はこう考えたーさしあたり、少なくとも僕に関する限りは、僕はこのいまわしい虐殺にそれこそたった一つのーいいかい、たった一つのだよー根拠でも与えるようなことは絶対に拒否しようと。そうなんだ。僕はこの頑強な盲目的態度を選んだのだ、もっとはっきり見きわめがつくまでのこととしてね。
 それ以来、僕の考えは変わらなかった。それからずいぶん長い間、僕は恥ずかしく思っていたものだ。たといきわめて間接的であったにしろ、また善意の意図からにせよ、今度は自分が殺人者の側にまわっていたということが、死ぬほど恥ずかしかった。僕ははっきりそれを知った。

「今度は自分が殺人者の側にまわっていたということが、死ぬほど恥ずかしかった」
つまり、タル―は銃殺の現場という体験から導く結論を出す。死刑制度を持つ私たち日本人は「死ぬほど恥ずかしい」ということになる。


    < 死刑の執行件数の推移 >
{2000年以降、日本では89人の死刑囚に対して刑が執行された。執行の基準は明確にされていないが、法相の心情や考え方が反映されている面もあるようだ}
https://www.nippon.com/ja/features/h00239/

安倍内閣での執行が目立つ。執行において法相の心情や考え方が反映されるとなれば、この内閣の特色の一つである残忍性が浮かび上がる。

上川法相の大量死刑執行は国内外から厳しい批判を浴びたが蛙面対応である。

メモ3で述べたが、現在、死刑廃止条約に反対し、死刑を実行している「野蛮国」として名誉ある地位を占めるのが「大国」としては日本、中国、アメリカなどで、ロシアや韓国は死刑を中止している。