寿永三年二月四日 我が一門が厳島神社への納経の栄華からこの都落ちよ。随分長き月日の経ったように思えるし、また一瞬の出来事のようにも思える。思えば木曽義仲殿の倶利伽羅峠での奇襲策によって我が軍は一挙に崩壊し太宰府まで後退せざるを得なくなった。…
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