pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

尹東柱、鶴彬と現代日本




  弟の印象画           尹東柱


  あかい額に冷たい月光がにじみ
  弟の顔は悲しい絵だ。

  歩みをとめて
  そっと小さな手を握り
  「大きくなったらなんになる」
  「人になるの」
  弟の哀しい、まことに哀しい答えだ。

  握った手を静かに放し
  弟の顔をまた覗いて見る。

  冷たい月光があかい額に射して
  弟の顔は哀しい絵だ。



この1編の詩によって尹東柱(ユン・ドンジュ)は、世界の詩史に残ると私は思う。今年は尹東柱生誕100年目にあたる。


  「大きくなったらなんになる」
  「人になるの」


詩の、言葉の力とはこういうものだろう。
祖国の歴史をこの二行が見事に表している。


拙文で恐縮だが、当時の尹東柱の祖国の実体のごく一部をご紹介したので、ご覧いただければ幸いである。
『忘却された支配―日本のなかの植民地朝鮮』1~3

http://pakin.hatenadiary.com/entry/2017/04/09/233040

http://pakin.hatenadiary.com/entry/2017/04/12/174504
http://pakin.hatenadiary.com/entry/2017/04/15/010010


 彼は治安維持法の目的遂行罪により投獄拷問を受け、獄死するのであるが、尹東柱に限らず、小林多喜二などのプロレタリア作家、鶴彬などのプロレタリア川柳作家など、文学系への弾圧も過酷を極めたのである。

 この治安維持法の目的遂行罪は、安部首相が画策し衆議院を「丁寧な説明」で強行採決させた共謀罪によく似て、気に入らぬ国民を投獄する目的に使用される危惧が甚だ多い。

「共謀を処罰するとどうなるのですか」 2016-09-12
           自由法曹団 警察問題委員会
http://seeing.hatenablog.com/entry/2016/09/12/171904

今日のニュースに自衛隊制服組トップ河野克俊統合幕僚長が「自衛隊の根拠規定が憲法に明記されるのであれば非常にありがたい」と発言したが、これは憲法違反を確信犯でやってのけたのである。もちろん彼は公務員であるから「忖度」には長けている。安部をよいしょすれば自衛隊には莫大な税金が転がり込む。安部首相が自らを立法府の長と錯覚する日本なのだから、もはや何でもあり、籠池問題も加計問題も戦後最大の疑獄事件の可能性があるにもかかわらずである。
しかし、この幕僚長の発言は、自衛隊憲法における根拠規定として限定を装っているが、その先には自民党改憲案が控えていると見るのが当然である。その自民党改憲案に併せるようにテロ等準備罪、そして共謀罪が揃えば戦前の国家主義に戻るという危惧を覚えるのは当然である。


  「大きくなったらなんになる」
  「人になるの」

繰り返すが、朝鮮人のおかれた歴史的状況をこの二行で描き切ったが、
さて、「人になるの」という子どもの言葉、日本人の子どもたちにも十分当てはまるのではないか。もはや日本人の大人は子どもを忘れ果てたように見える。たくさんの子どもらが毎年のように自殺していても、かわいそうで終わり。政治や教育行政の根本が、狂った歪みの挙句の自殺という側面を思考することもない。子どもを「人」として扱うことができなくなった日本人には戦中戦前の弾圧国家がふさわしいのかもしれない。


最後に私の好きな鶴彬の川柳。
もちろん、彼も目的遂行罪により投獄拷問の果て死亡。

「修身にない孝行で淫売婦」
   これは文字通り。修身つまり道徳。教育勅語の現実である。


「冬眠の蛙へせまる春の鍬」
   何も知らず寝ぼけたままの人間に襲い掛かる政治の暴虐である。 


「手と足をもいだ丸太にしてかへし」
   兵士の姿。尤も戦死したら表彰の時代、「丸太」でも生きて帰ったら傷痍軍人手当くらい。


「暁を抱ゐて闇にゐる蕾」
   鶴彬も、尹東柱やおびただしい弾圧の犠牲となった人たちの、いや普遍的な「人」の在り方である。
   
最後に女流川柳作家、井上信子の句です。

「国境をしらぬ草の実こぼれ合ひ」
   彼女は老いても鶴彬を最後まで支援した女傑です。
   http://www.freeml.com/chance-forum/14659


 

 



. 今夏尹東柱生誕100年を記念した映画が上映されそうです。


 .安部首相が嫌いな「文系」ブログで済みません。その忖度でしょう、職業訓練的大学の新設が文系縮小に併せて浮上。また加計にやらせるんでしょうかね。