pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

樺美智子さんの「死の真相」と今日

「樺美智子さんの「死の真相」 (60年安保の裏側で) ―60年安保闘争50周年」
http://chikyuza.net/archives/5376

 

この丸屋さんのブログは2010年12月24日にアップされていますので、50周年となっています。

樺美智子さんの名は私の世代以上の方々はご記憶にあると思いますが、私自身すっかり忘れていました。
お気に入りのさんかくやまさんに明日が樺美智子さんの命日であると教えていただき、虚を突かれた思いで、改めて樺さんについてネット上で調べた結果が、標題のブログです。


驚きました。
樺美智子さんは60年安保のシンボル的存在と記憶していましたが、死因は国会前での圧死と記憶していました。機動隊によるデモ隊鎮圧の混乱の中で倒れて踏みつけにされ死亡という記憶でした。

 

「坂本・中田両先生の記録ノートと解剖現場での意見交換などを、お聞きした範囲で伝えて、草野先生の解剖学者としての見解を語ってもらった。ぬいぐるみの熊のような人なつこい、そしてやや怖い感じの草野先生は、しばらくじっと僕を見据えてゆっくりと意見を述べられた。僕はこれをメモして樺さんの死因をまとめた。


① 死体の血液が暗赤色流動性であり、
② 肺臓、脾臓、腎臓などの実質臓器にうっ血があり、
③ 皮膚、漿膜下、粘膜下、などに多数の溢血点がみとめられ、これらが窒息死によって起こったもの(窒息死の三徴候)であることは疑いのないところである。
④ さらに窒息死の所見以外には、膵臓頭部の激しい出血、
⑤ および前頸部筋肉内の出血性扼痕があった。

        中略

司法解剖をした慶応大学の中舘教授からの鑑定書が提出されました。『鈍器で腹部を突かれ膵臓挫滅出血、首を絞められた(頚部扼こん反応)』というこの第一次鑑定書は、検察の受け取るところとならなくて書き直しを迫られました(当時、慶大法医の解剖の助刀を勤めた中山浄先生から、逐一連絡がありました)。訂正鑑定書では上記の死因に「人なだれによる胸腹部圧迫」が加えられたと知らされました。
訂正鑑定書では上記の死因に「人なだれによる胸腹部圧迫」が加えられたと知らされました。この「人なだれによる胸腹部の圧迫が窒息の原因」は六月十五日,樺さんの死体を検察局で検視した監察医務院医師・渡辺富雄氏の「監察医意見書」として検察当局に提出されていたものでした。なお追記すれば渡辺監察医は慶応大学の司法解剖には立ち会っていません。
この第二次の中館鑑定書は検察局の受け取るところとなりましたが、当局はこの内容に不満で、東大・法医学・上野教授へ「再鑑定」の依頼をしました。上野教授からは「人なだれによる圧迫死・内臓臓出血も窒息による」としたようです。この上野再鑑定書によって、鑑定書は公表されないまま社会党の告訴はとりさげられ、樺美智子さんの死の真相は闇に葬られたこととなりました。」


これが、樺美智子さんの死因としてまとめられていますが、正確には必ず上記の丸屋医師のブログをお読み下さいください。


私は樺美智子さんの死を何で読んだか既に記憶にありません。しかし、圧死という言葉に引っかかった記憶は残っています。圧死する程、それほどのデモ隊の大群衆に踏みつけにされたのか?未熟な疑問をそのままにして、私の関心は高野悦子さんの「二十歳の原点」に移っていました。70年、私の在籍した大学は「最後の学園闘争」の終わりを迎え、新入生はもう政治への無関心の段階に入っていたのでした。その後はご存知の通り、『学費」が大学理事会の要求通り跳ね上がっていき、何とホテル運営までこなすようになりました。加計様も「教育事業家」を自負してらっしゃいますが、我が母校も負けじと事業拡大路線を猛進し、教えてもいない私の住所に毎年寄付依頼が届きます。
そんな学生時代の中で、マスコミが闘争を歪めて報道する実態を経験できたのは収穫でした。ノホホンのボンクラ田舎学生がマスコミの正体を初めて体験できたのです。

それでも、樺美智子さんの死因を結局はマスコミ報道レベルでしか受け止められなかった事は情けないと今つくづく反省します。

マスコミは学生運動を潰した後は労働運動を強力に締め上げていきます。
その締め上げるキーワードが「迷惑」でした。
国民を迷惑と煽り洗脳しながら労働者の最大の権利であるストライキを「迷惑」で潰したのです。その後は自殺まで「迷惑」と国民は受け止めていきます。
何と単純な国民なのか。

今まさに目の前の安倍政権が戦後レジュームとかいうふざけ切った言葉で戦前の暗黒時代、国民奴隷時代に戻らせようとしています。
一連の流れを見るとずっと計画されてきた国民洗脳システムがほぼ完成してきたのかと暗澹たる思いになります。
選挙制度改悪で3割以下の得票でも絶対多数の暗愚政権が作られるのです。


「『安保五十年』と言うべきいま、樺美智子さんの闇につつまれたままであった「死の真相」が、『安保五十年』と言うべきいま、樺美智子さんの闇につつまれたままであった「死の真相」が、もう一度語られてよいのではないでしょうか。もう一度語られてよいのではないでしょうか。」

丸屋さんはそう呟いてらっしゃいます。
樺美智子さんが如何に優秀な学生であったか、触れられていらっしゃいますが、優秀であろうがなかろうが、純粋な若者を死に追いやった事実とその歴史を私たちは忘れない。
そしてそれは何度でも語るべき歴史の真実であると思います。
権力による樺美智子さんの「殺害」であったという事実を。

最後に、丸屋さんが出してくれた樺美智子さんの詩を引用します。

 


最後に        樺美智子


誰かが私を笑っている

こっちでも向うでも

私をあざ笑っている

でもかまわないさ

私は自分の道を行く

笑っている連中もやはり

各々の道を行くだろう

よく言うじゃないか

「最後に笑うものが

最もよく笑うものだ」 と

でも私は

いつまでも笑わないだろう

いつまでも笑えないだろう

それでいいのだ

ただ許されるものなら

最後に

人知れず ほほえみたいものだ

(一九五六年)

 


狂歌

我が国は若き人の死重ねつつ知らぬ存ぜぬ臆面もなく(巴琴)

 

 

 

.追記

rafuransさんのご紹介です。rafuransさん、多謝!

http://yamazakiproject.com/about_us/yamazaki_profile

羽田闘争での犠牲者となった山崎博昭さんの追悼プロジェクトです。今年50周年を迎えると言う事でベトナムホーチミン市での展示会も共催で予定されていると言うことです。
ベトナムホーチミン市戦争証跡博物館」展示会ツアーのご案内」
参加したいですねえ。


これで戦後最悪の首相が出揃いました。
60年安保  岸信介
羽田闘争  佐藤栄作
人質見殺し 安倍晋三


血にまみれた3人、偶然の産物?