pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

句会 蒲公英(たんぽぽ) 第二回

・      3月15日



石垣のすきまに生ふるたんぽぽ黄  陽清


春燈下越前和紙に書く便り     陽清


群れふたつ着かず離れず鳥帰る   陽清


ささえられ水飲む老犬春浅し    淡雪


卒業をいくたびかけぬけ七十年   淡雪


アルバムの若き父母うつりゆき   夏生


雛だんの姉妹の愛しき藤娘     夏生


春雨に傘をともにと乙女言ふ    巴琴


桜餅うつわの赤で雛に添へ     巴琴


末男もからだゆすりて雛うたふ   巴琴





石垣のすきまに生ふるたんぽぽ黄 
普段見逃してしまう光景を鮮やかに切り取った句。かわいい、しかも強靭なたんぽぽ。結句の黄の強調、いさぎよい締めかたと思う。


春燈下越前和紙に書く便り 
春燈、越前と並び、美しい。和紙であるから筆書き。墨の匂い。いにしえの情緒満点の句。

群れふたつ着かず離れず鳥帰る
窓から眺めていたら鳥の群れが二つ北を目指して飛んで行った。精一杯の群れへの応援とその編隊飛行の美しさに感動した句だが、同時に見送る淋しさもイメージされる。


ささえられ水飲む老犬春浅し
ペットを飼っているひとには実感の句。いつか迎える別れを目の前に作者は精一杯の愛情を込める。温かい春まで頑張ってほしいというのが、春浅しの意である。


いくたびも卒業かさね七十年 
卒業というものを学校のみにとらわれず、回顧し人生の要所要所に「卒業」というイメージを見てきた句。しみじみとした情緒が溢れる。七十年を古希とするかどうか。私は数字の伝える実感として七十年かな。あくまで私見


アルバムの若き父母うつりゆき 
片付け(断捨離か)の最中にアルバムを見つけてつい見入ってしまう。若き父母の移り行く姿が一葉一葉に焼き付けられており、もう片付けの手は止まる。父母の姿を見、また我にかえっていく。


雛だんの姉妹の愛しき藤娘 
幼き日々、姉も自分も一番好きだった藤娘の人形。思い出の人形に姉妹の情感が鮮やかな句。


春雨に傘をともにと乙女言ふ 
思い出の句。学生寮に居た頃、駅から寮まで徒歩15分ほどの距離を平気で春雨に濡れて歩いていた。ゴムサンダルにGパンTシャツの貧乏スタイルで哀れに思ってくれたのか若い女性が後ろから傘をさしかけてくれた。寮近くで別れたがそれきりである。現代まずありえない大らかさであろう。

 

末男もからだゆすりて雛うたふ 

思い出の句。 娘の雛壇の前で娘と一緒に幼い末男、も、ひな祭りの歌を身体をゆすりながら嬉しそうに歌っていた。

 

 

 

句会の名を「蒲公英、たんぽぽ」としました。漢字表記にするかどうか決めていません。会は相変わらず和やかに雑談を交えお茶や珈琲を頂き、会員さんの差し入れのお菓子などつまみながら過ごしました。そういえば今回分かったことで、会員さんのお一人が87歳とか。背筋も真っ直ぐにお元気です。