pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想81

 

 

 ふと風が吹いたのでしょうか、脇に置かれた白百合の花が一瞬頷いたように見えたのもかわいらしく思えます。

 その時のことです。
旅装束のまま、一人の影が回廊から歩いてきて、笠の紐を解きながら私の傍にすっとお座りになられました。

「しばらく。ご無沙汰しておりましたなあ」

 多少はしわがれているものの、その覚えのある艶のある低い声に私は驚き、横に着座した男を見やりました。やはり西行さまでした。

「いや、驚かせてすまぬ。いま、着いたばかり。貴女がここにいると聞いてすっ飛んで参った」
西行さまは額の汗を拭いながらお話を続けました。

「貴女が宮中を去って厳島に向かっておられると旅の空に聞いてのう。おお、懐かしや小侍従殿が、そうか、よい機会だ。また文徳殿や子どもらも一緒とはな。久しぶりに厳島にも参りたいでな。これは行かずに済むわけがないのう。あはは。山陽道の豪族や山賊たちの馬を借りてな、飛ばして参った。安芸からは漁師を叩き起こしてな、あはは、この糞坊主なぞと言いながら乗せてくれたわい。騎乗も久しぶりじゃて楽しかった。いや、小侍従殿のお元気そうなお顔を拝見して嬉しい限りですな」

 西行さまの馬術の見事さは、まだ北面の武士として出仕なされていた頃、武芸の一環としての馬術が宮中でも評判でした。まるで己を空気のように乗りこなす、馬には負担を極力感じさせぬ自在の騎乗と同じ歳の清盛公にも一目置かれていた存在でした。ただ・・・豪族はまだしも山賊にまで顔がきくとは・・・山陽道を風のように駆け抜けていらっしゃるお姿を想像しました。

 私は、かれこれ二十年以上も昔のことですが、重い病を患っていた事がありました。宮中を下がり一年以上里で療養していた頃に西行さまが侘しい里に見舞いに訪れてくれたことを思い出しました。私は思わず涙をこぼしそうになりながら礼を述べました。

「あはは、いや、礼には及ばぬわい。あの時はな、万一にでも貴女が亡くなられてはな、貴女の琴を生涯聴けなくなってしまう。それは拙僧の今生何よりの無念、と存じたまで」

 そう、ある晴れ渡った冬の朝。その時は病もかなり癒えており、雪の輝く庭に向かって、西行さまに、伝習した秘曲をお聴きいただいたことなど、私は懐かしく思い出していました。

        西行さま御歌

      琴の音に涙をそへて流すかな
              たえなましかばと思ふあはれに

        かへし

      たのむべきこともなき身をけふまでも
              なににかかれる玉のをならん


 その時に西行さまがお詠くだされたお歌を、この二十年、私は幾度となく思い返しては涙し、また潰れそうな己の支えとしてきたことか。

 西行さまが佐藤義清という俗名で、北面の武士として生きていた若き日々、文武に優れ、眉目秀麗な若武者だった西行さまは当時、女房たちの憧れの的でした。それが何を思ったか、突然出家なさいました。私がお仕え申し上げていた太皇太后多子様にもお歌の才を可愛がられて、時々立ち寄られていたことなど懐かしい思い出です。


 横に座った西行さまに私は驚いたというより呆気にとられながらも、西行さまの変わらぬ身の軽さを思い出しました。気の向くままに旅をし、突然現れてはまた何処となく去っていく。乞食僧のようでありながら、南都北嶺の高僧たちに一目置かれていらっしゃる。武道は言うまでもなく、歌道においては都の貴人たちも尊敬を深く抱いている男。

 いま、その西行さまが久しぶりに傍にいる。私は思いもかけず、熱い思いが身から湧き出てくるのを覚え恥じ入りました。日焼けした彫りの深い面長の横顔は、歳こそ感じますが、昔と同じように厳しくも美しい面影が漂っていらっしゃいます。





写真 借り物