pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想82




「貴女がこの冬、宮中を退いて病に臥せっておられるのは旅のなかでお聞きした。そして平経盛殿が貴女に厳島参拝をお勧めになったとか。あの内裏ではな、さぞかしお辛かったであろうの。女人たちも男どもも狂うておるのが多いからな。あまりにも狭く閉ざされた世界じゃて、貴女のような繊細なお心には耐えがたいものがあったであろう。拙僧の存じあげている女人でも貴女のような方は鎧を何重にもかぶって過ごしておられる。多子様はお優しい方だて貴女の姿に心を痛めておられたのだな。経盛殿も同じ、平家の公達の中でも教養の高い優しい男じゃ。それにしても厳島参拝の旅とはのう。心身を癒すにこれほどのものはない。拙僧も思いつかぬ思慮よ。さすが経盛殿だ。」

 私はこの旅の様子を西行さまにお話ししました。

「おお、史文徳殿や子どもらとそのような出会いをなされたか。まことに出会いとは運命とでもいうほかにないのう。犬丸は元服の儀までして頂いたのか。佳きかな。これは縁と呼んでもよい。自分が呼び寄せるものじゃてな。小侍従殿の呼び寄せた縁じゃ。悪には悪縁が、善には善き縁が続くのじゃな。みんなの佳き縁が繋がったのじゃ。ああ善きかな・・・小さな善の泉が清らかに川となりついには大海に注いでいくがごときじゃな。文徳は拙僧が見込んだ男じゃったが、実に善き男でな、そうか、こどもらは幸せに旅を楽しんでおるか。なんと子どもらを連れて宋に戻られるか。小侍従殿やみんなのお陰じゃな。いや何より小侍従殿が元気になられたことは嬉しい。さきほどこの厳島神社の平舞台でまっすぐ海を見つめておられる姿を拝見してな、安堵し申した」

 西行さまはにっこりと微笑まれました。

西行さまこそお元気なご様子。今も旅にお暮しでしょうか」

「変わらぬ乞食坊主じゃて。あちこち物乞いしながら生かされておる。ありがたいことよ。草枕も枕詞じゃなく地でやっておるからな。あはは。土の匂い、草の匂い、花の匂い、木々の匂いに包まれてな。まあそれが拙僧の性に合っておるのでな。おお美しい、白百合の花か。よい香りじゃ。そうか、忠度殿がのう。彼はまことを持つ男じゃが、歌詠みとしても見事。今もって美しく歌才溢れる小侍従殿。男どもに今も愛されるのは当たり前じゃ」
西行さまはそう言って微笑みました。

「しかしなあ、熱い思いも時が経てば薄らぎ、やがては消えゆくものを、さすが忠度殿であることよ。拙僧も嬉しくなり申した」

 月は西行さまの微笑んだ横顔を照らし、白百合の花はすっとうなじを伸ばし、闇に香り高く浮かびあがります。私は一心に西行さまの旅の話をさまざまに聞きながら、もし逢えたらお尋ねしようと思っていたことを思い出しました。

西行さま、ずっと教えていただきたかったことがあるのですが」

「何なりとお尋ねくだされ。今宵は初めて邪魔が入らずお話しできる機会じゃて」

西行さまのお歌には月や花が沢山詠われていらっしゃいますが、その月や花は西行さまにとってどのような世界なのでしょう」

「そういえば一年ほど前か、定家殿にも同じことを訊かれましたな。まだ十歳、お若いのにまこと熱心。御父上の俊成殿もいたく喜んでおられましたな。拙僧にとって月や花とは、なに、そのままにみ仏でござるよ。一木一草に仏性ありと申すがな。拙僧にとっては悉皆成仏というより、そもそもが仏じゃてな。法華経の因果俱時を解さぬ拙僧の未熟を含め人間だけが成仏となるのを必要としておる。生として未熟じゃからの。ああ、一木一草だけではない。月もまた同じ。仏の御教えを月はお教え下さるのじゃ。満月の美しさは喩えようもないが、満月のみならず、月の様々な盈虚にもお教えは宿っておりますでな。したがって、そもそも歌とは拙僧にとって仏の道でござる。一首作っては己を観る。己を省みては絶望しまた歌を作る。その繰り返しでござるよ」

 その答えに私は深く頷きました。
「拙僧にとって月や花とは、なに、そのままにみ仏でござるよ」
 これこそがみ仏のお教えでしょうか。一木一草悉皆成仏も因果俱時もその深い教えの海の中に輝いています。

 西行さまの御歌を後年「おぼろげの人のまねびなんどすべき歌にあらず、不可説の上手なり」と仰せられた後鳥羽院のお言葉が思い出されます。西行さまが若き日より比叡を尋ね、吉野や熊野はおろか奥州や西国まで行脚し、折々に歌を詠みながらお過ごしになられていることを知っています。近年は荒ぶる讃岐院の御霊を鎮めるべく、四国を巡っていることを知っておりました。

     よしや君昔の玉の床とても

            かからん後は何にかはせん

 西行さまが讃岐院霊前で詠まれたこの御歌の厳しさには皆が驚かされたものです。昔の栄華の虚しさを悟らず、それに執着する成仏できぬ讃岐院の御霊への激しい叱責と感じられたことです。西行さまにしかお詠みになれぬ御歌でした。

 私にはもう一つ、どうしてもお訊ききしたいことがありました。

西行さまはなぜ御出家なされたのですか」

 これは西行さまがご出家した当時から誰しもが憶測し噂しあったことでありました。しかし、高貴な女院との噂まであり、事の真偽を訊くのはあまりに憚られていたのです。

「ああ、ずいぶんと昔の話ですな。拙僧の出家について当時は色んな噂が立ったらしいですな。中には高貴な女院との色恋とか」

 西行さまは笑います。

「しかしなあ、嘘はたやすく信じるが、まことを話しても人は信じないのが世の常。そんな噂話などにかまけている暇はなかった。しかし、いま貴女ならお話しする甲斐があるというもの。確かに拙僧は、家にも恵まれ北面の武士という名誉も成功によって得ました。しかし、それに何の意味がありましょうや。北面の武士となり、さらに内裏の様子を知るに、民を忘れ道を忘れ、乱行極まる宮中にみ仏はいずこや。出家ののち、保元平治の両乱も見ました、そのむごさは計り知れませぬな。ああ兼綱殿が来ておられるの。彼もどれほどの辛さであったことか。情の厚い頼政殿に引き取られたことは幸運じゃった。拙僧は宮中公家らの権力争いに平家源氏らが親子で殺し合う様をつぶさに見て回った。御寺をいくら建立してもなんの甲斐がありましょうや。拙僧への色恋沙汰の噂もそんな乱行にうつつを抜かす方々の思い付きにすぎません。そして拙僧は何よりみ仏と歌の道に魅せられたのです。まあ生来我儘なのですな」

 西行さまは単に僧としての振る舞いよりも、世の姿にお心を痛めていらっしゃる。西行さまの明るいお声と話に私は胸のつかえが降りた心地がしました。

 私には西行さまとの秘め事がありました。その重い病に臥せっていた日々に、西行さまが自ら薬草を調合し煎じて、飲ませてくれたこと。ある夜のこと、焼けるような身に苦しんでいた私を、忍んできた西行さまが、一夜誦経塗香してくれたこと。

(必ずお治し申す。安んじ召されよ)

と耳元で囁く言葉。うなされ苦しみながら私は朧気に西行さまのお心を感じ涙したこと。快方に向かったある晴れ渡った朝、前栽から、眩しく輝く雪を盆に盛ってきて口に含ませてくれたこと。その美味しかったこと。穢れを拭うかのように、体の中の隅々に清らかな雪が流れていくのを覚えたこと。私の胸には幾人かの男の愛にもまして、西行さまとの、ただそれだけのことが深く刻まれたのでした。





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