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パルチザンの歌として名高いベラ・チャオを使ったウクライナ応援ビデオ。
ある朝私は目覚めた さらば、さらば恋人よ
ある朝私は目覚めた
そして侵略者を目にした ああパルチザンよ、連れ去ってくれ
さらば、さらば恋人よ
ああパルチザンよ、連れ去ってくれ 死の訪れはもう遅くないから またもし、私がパルチザンとして帰らぬ人と化したら
さらば、さらば恋人よ
またもし、私がパルチザンとして帰らぬ人と化したら あなたは私を埋めなければならない
私を山奥に埋めてくれ
さらば、さらば恋人よ
私を山奥に埋めてくれ
さらば、さらば恋人よ
そしてたくさんの人たちが通り過ぎたら
さらば、さらば恋人よ
そしてたくさんの人たちが通り過ぎたら 美しき花とは何なのかをあなたに教えてくれるだろう これはパルチザンの花なのだ
さらば、さらば恋人よ
これはパルチザンの花なのだ 自由のために死んでいった
これはパルチザンの花なのだ 自由のために死んでいった
さらば恋人よ(さらばこいびとよ、イタリア語: Bella ciao)とは、イタリア内戦(英語版)の時に創作され、イタリア・パルチザン(英語版)によって歌われた歌曲である。この曲は、やがて反ファシスト党による自由とレジスタンスの賛美歌として、国際的に歌われるようになった。
「さらば恋人よ」は、1943年から1945年まで続いた、反ファシスト党運動において歌われた。作詞者・作曲者は共にわかっておらず、この楽曲はポー川の流域周辺にいた農民たちの間で、20世紀前半にかけて歌われていた「Alla mattina appena alzata」という名の民謡に基づいてできたものである。
1962年、この曲は音楽研究者のために、イタリアのフォークシンガーであるジョヴァンナ・ダッフィーニ(英語版)によって録音された[3]。「さらば恋人よ」以前の類似したバージョンの楽曲は、「Alla mattina appena alzata」が19世紀後半に作られたものであることを示している[4]。最古のバージョンは、1906年に作成されたもので、ピエモンテ州ヴェルチェッリ近郊が発祥とされている[5]。
以上ウイキペディアより。
「反ファシスト党による自由とレジスタンスの賛美歌」。まさに西欧の歴史の象徴ではないか。
つまりは何事においても「抵抗」が歴史的に正しい立ち位置なのだ。それは個人の個人による個人のための普遍的正義だろう。
さて、この美しい「民謡」が映画にも使われている。スペイン『ペーパー・ハウス』。この紹介ビデオのシーンは感動的だが、何より光を重厚に繊細に美しく描いた。さすがに油彩の伝統だな。