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誕生日祝ふ買い物秋うらら 陽清
秋うらら友と仕上げしぬいぐるみ 陽清
はるかなる白馬の小屋の星月夜 淡雪
台風に耐える木一本そこに在り 淡雪
秋彼岸母の呼ぶ声我が名かな 夏生
ヘビ愛づる逗子に住む孫秋澄めり 夏生
秋晴れの木立の下を歩きけり 巴琴
誕生日祝ふ買い物秋うらら
お嫁さんと作者と互いお祝いを買ってあげるのが習慣となっていらっしゃいます。今回はお嫁さんに贈るお祝いでブレスレッドということです。女性はお買い物がお好きなのです。ましてやお嫁さんへのプレゼントで大いに張り切って品定めする様子が「秋うらら」の気分に溢れていますね。話題はそこからジュエリーへと盛り上がりました。結婚指輪さえ忘れてしまった私にはあまり縁がありませんが(冷汗)
秋うらら友と仕上げしぬいぐるみ
え~、その仲良しの友人とは何と101歳の、紀寿をとっくに過ぎた方・・・それを聞いただけで「若造」の私は(冷汗)。なんでも別の友人からどっさり材料をいただいたそうで、作らないと気まずいのでハウスのその紀寿の方と子熊のぬいぐるみを作ったそうです。写真も見せて頂きましたが細部にわたって丁寧に作りこんでいらっしゃいます。視力の衰えた友人のために、仕上げは陽清さんがお手伝いなさったとか。優しい光景が「秋うらら」錦秋の光景に包まれています。
はるかなる白馬の小屋の星月夜
はるか、とは時空ともに表すということで作者は若き日の思い出も重ねて詠まれます。もちろん単独ではなく「彼」と一緒の白馬の山小屋でのロマン溢れる美しい思い出。いやはや、当てられますねえ。その山小屋での夜、彼と手をつないで銀河を見上げればもう星も月も手の届く近さ。白馬と星月夜というなんとも魅力のある言葉に抗うすべはありません。永遠の美を持つ御句ですね。
台風に耐える木一本そこに在り
作者そのもの。また我々そのもの。誰しもが耐えて耐えての今日という現在にいます。
「そこに」を「ここに」と見れば歌謡曲がでてきます。
嵐も吹けば 雨も降る
女の道よ なぜ険し
君をたよりに わたしは生きる
ここに幸あり 青い空
皆さんの合唱となりました。いいですね!
「じゃあカラオケ俳句でもやりますか」とは私の悪ノリ。
秋彼岸母の呼ぶ声我が名かな
曼珠沙華の咲き乱れる当地のお彼岸、作者は昔母が自分の名を呼んだ声を心に聴いてお過ごしです。やはり、こういう時、なんと言っても「母」の出番。母は強し。オヤジの出番はありません。まことにしみじみとした心の景色が立ち現れる佳い句です。
ヘビ愛づる逗子に住む孫秋澄めり
虫愛づる姫というのは古典にも登場しますがヘビは神話世界から象徴として描かれますが嫌われ者のトップかもしれません。しかし、このお孫さんはヘビが大好きなのです。可愛いお孫さんが大好きなのだから優しいご家族も作者もヘビを厭いません。そこがなんとも良い光景です。ただ、ヘビの名誉のために付け加えますが群馬にスネークセンタ―があってヘビを愛する人々の聖地です。思い出せば我が次男坊も両生類爬虫類、とくにイグアナ好きでした。
秋晴れの木立の下を歩きけり
単純率直な句です。このまま。しかし作者はそれで十分なのです。「樹の下道」とかよりも単純です。
信濃路と入れるだけで俳句になりますが、先月信濃追分を歩いた時、追分宿郷土館に立ち寄りました。そこで追分宿の歴史や民俗を垣間見たのですが、「追分節」を郷土の歌い手が歌ったテープがあり、聞きほれました。なんでも「追分節」発祥の地が信濃追分で、ここを経由した旅人、馬子たちが各地に広め「江差追分」などに発展していったとか。テープの歌を聴いているうちに遠い時代の哀愁に満ちた空間に引き寄せられた思いでした。ゆっくりと伸びのある美しい歌です。