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原爆は蝉時雨さえ焼き尽くし 巴琴
今夏72年目の原爆忌。
亡くなられた方々へ心より哀悼の念を申し上げます。またその災禍によって悲惨な境遇を余儀なくされた人々へまとこに忸怩たる思いで一杯です。このような情けない国に生きる辛さは言葉にもならぬでしょう。
以前も書きましたが、原爆投下の前、私の父の乗船した軍艦は呉沖に停泊中米軍機の爆撃で沈没。生き残ったのは父と戦友の2人のみだったそうです。気絶した父は戦友に抱き抱えらて港に泳ぎつき、海軍病院に入院中、異様な爆発音をベッドの上で聞いたそうです。それが原爆であると知ったのは時間がかからなかったそうです。
父は戦争を語る事は稀でした。
しかし、父の脳に認知症が深く進行するまで、父は夜な夜な酷くうなされては、母にまるで子どもをあやすように宥められていたのです。
原爆は人類が生み出した最凶の兵器です。
皆殺しの思想の究極兵器。
その原爆に軍事的な平和バランスを求める思想は、同様に狂気の思想と私は見ています。
戦争自体が狂気ですね。田舎の、ごく普通なおっさんや若者たちが兵士となると殺戮に無神経となっていく。平和であれば良き父良き息子が…
だから私は安倍政府が、戦争ができる国を目指す改憲に絶対に反対します。戦争のない世界を目指すなら大いに賛同します。戦争は巨大軍需産業が裏にいる事は自明です。なぜアフリカやアラブ、アフガンなどにおびただしい兵器が持ち込まれて、消耗されているか、
「SIPRIの計算による2016年の世界全体の軍事費は1兆6866億ドル。その1/3強をアメリカ合衆国一国が計上している。次いで多いのは中国で2152億ドル、12.8%」
この数字だけ見ても狂っているとしか言いようのない政治ですね。
その狂いを正すのが日本の政治の在り方と思います。
また、日本が世界のできる国となれば、それは米軍のお先棒を担ぐしかない。米の、軍需産業に今でも貢いでいますが、米軍の手先として日本人に何の恨みもない他国の人々を殺戮せねばならなくなる。また、同時に、その恨みを買う事は自明で、安倍がテロテロと大騒ぎするのは、そうなるための地ならしと見ています。
兵士トシテ殺し合うのは、自分の息子じゃない、他人の息子なら良いかな?
イラク派遣隊員が29人自殺。最近では南スーダン派遣隊員が1人自殺。
で、良いのか?
現地で何が起きていたか、報道されず、私達はその自殺者の姿から想像するしかありません。
そんな自殺者は、いつものごとく「業務との関連性無し」と葬られるのです。
そのような政治を主導する安倍首相は、国内でまた精神の死屍累々を生み出していますが、その一つが加計学園です。加計学園経営の銚子市にある大学は薬剤師養成を謳い文句に学生をかき集めた挙句、多数が薬剤師になれぬままにさまよう事になっているようです。1千万円くらいの学費を払った挙句ですね。また、銚子市は巨額の補助金を加計に貢がされて第二の夕張になりそうだとか。
今治も同様になるでしょう。そんな愚かさを生んでいるのはもちろん地元住民です。原発問題と同じなのです。
広島原爆忌から話がずれてしまいましたが、本質的には同じと見ています。被害者は国民であり、加害者もまた国民なのですから。