・
昨日【ヤママユ】東京支部の歌会に参加しました。基本隔月開催。
ナントカ蛇に怖じずは私の為にある諺で、歌歴何十年とかの皆様に混じり、おそらくは顰蹙をかいながらも、へらへらと言いたい事を言い、しかし皆様優しく接して頂いてます(そのうち干されそう(^^ゞ)
支部としては年に3回発行の歌誌に掲載された短歌を東京支部会員のものだけ批評。歌誌のない月には、事前に提出した各人2首(題詠、自由詠)を無記名でまとめたものを各人それぞれ2首選び、席上披露となります。高得点の歌から順次選んだ人の批評を述べる訳です。もちろん無点の歌にも自由に批評し合います。最後は出詠者全員が分かる発表があります。
題詠「初夏」
若夏(うりずん)とふ美しい季節(とき)にも沖縄のいのち満つ海埋められてゆく
芽立ちより千種の色の移ろひて若みどりなるはつなつの山
自由詠
薄日射す大台の朽木にひこばえは大樹の風(ふう)を備えて生まれし
埴を挽く六つのロクロ並びゐる跡とり息子は首をくくりき
以上、私の選ばせて頂いたお歌です。
「若夏」はなにせ私の大好きな「うりずん」で、更に非道な埋立問題を併せでらっしゃる。
「芽立ち」は、私も4月以後殆ど毎日山歩きをしていて、その新緑のグラデーションの美しさをどう表現するか迷っていましたので、その表現に感動しました。
「薄日」は普段邪魔者扱いされるひこばえへの感動。優しい。
「埴」は、自殺者と「埴」、埴は埴輪とも想像され、自殺者への鎮魂と読みました。ただ、最後の作者発表で作者が福島の方と知り、これは直接の事件であると了解。であれば、避難した相馬〜浪江の相馬焼き陶芸家一家の出来事。
もちろん他のお歌も好きなものが沢山ありました。「選ぶ」というのは僭越傲慢と紙一重。また「批評」は己の無知もさらけ出します。もちろん、空っぽすっからかん巴琴は丸出し(@@;)
拙歌 実は提出〆切日が連休明けで連休中は郵便ストップ(これは郵政の実質賃金カット、パートさんが大半)を知らず、過去作成したものを慌てて提出。
波の底きらめく砂と青空とすべてなりしや幼き我は
夏空に向かふ我あり幼き日プールの底よりあふぎ見てをり
子供の頃の私にとって夏は海と川、プールがすべてでした。
既に五月も中旬。シジュウカラの雛鳥たちもとっくに巣立ち、猫たちはもう昼寝。梅は小梅がしっかり実りましたが、大梅は今年は不作。もう歳かも知れません。
来週は句会、その後の日曜は信濃追分の堀辰雄記念文学館で堀辰雄とプルーストというテーマでの講演を拝聴しに行きます。日帰りになるかも。
横浜美術館収蔵作品。
中旬にみなとみらいホールに、例によって長男の招待で行きましたが今回はさほど面白くない内容で、横浜美術館に初めて見学。予想以上に素晴らしい美術館です。