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どうも仕事をしていたせいで今朝も6時過ぎに起床した。昨夜のストロベリームーンは薄雲の向こうにぼんやりと浮かんでいた。気温が高くなり、寝るのは裸同然だが、開け放った窓から流れてくる冷気がすこぶる快適であった。
朝、玄関前で一服していると、ポトリ、ポトリと小梅の実が落ちてくる音が聞こえる。まるで獲って頂戴と言わんばかりに。
先に収穫したのはまだ半分にも満たない。届かないところの枝からのんびり落ちてくる。
植物は自分の繁栄の為に平和主義を選んだ。
と、うつらうつら観てると椿の枝からシジュウカラが門扉を睨んでけたたましく鳴き出した。
あ、ハチが大梅の枝に乗って、門柱の上にあるタヌキの置物を気にしている。雛が小さくピーピー鳴いていた。
親鳥は渾身の力を込めてハチを威嚇しているのだが、ハチはもちろん聞く耳を持たぬ。
しようがない。
ハチを枝から降ろしたら、ハチはそそくさと庭の茂みに入って行った。ハチにはタヌキの中は手が届かないので諦めてもいる。
今春、シジュウカラの巣作りを見なかった。
タヌキの置物の入口が去年梅をかなり剪定したので外からは丸見えとなり、これは今春はシジュウカラは来ないかなと諦めていたのだった。
それにしても親鳥の懸命さは立派である。人間の親にもこれくらいの懸命さが必要だ。人間は自立まで長い時間が、かかる。10数年親は大変だが、子育てを大変という風潮には首をかしげさるを得ない。
懸命さは逆説的に自己充足であり、たとえ親子喧嘩を派手にやっても、それは幸福な事だとは思えない人たちが増えている気がする。
なんて雑念が払えないのは己の未熟だが、未熟はついに最期までついてくるようだ。無知さんと未熟さんは我が一生の親友である。アハハ。
落ちてくる梅を拾う。草むらに隠れている小梅ちゃん、出てきなさい!
部屋の中では小梅ちゃんの甘い香りが満ちている。これ、良い香りなんですよ。
そうそう、孔雀サボテンの花が開きました。ハナキリンやハイビスカス、蓮は茎を伸ばし葉を広げ始めした。京鹿子も淡いピンクを緑の中に添えてくれます。ワイルドストロベリーは雨の度に実を増やします。
なんて書いている内に遠雷の音。夏。