pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

沖縄慰霊の日

 

沖縄では今日が終戦の日である。

日本国は8月15日を終戦記念日と呼ぶが、これは誤魔化しで、敗戦記念日と呼ぶべきである。

 

沖縄では終戦で良い。
「本土」の狂った軍部政治家国民のせいで犠牲となった人達への慰霊は敬虔に行われているだろう。

 

おそらく(TVはうちに無いので)、マスメディアは、この慰霊をせいぜいニュースでチラ見せで終わるだろう。
TVを放擲した理由である。ドキュメンタリー番組として取り上げる番組はあるかも知れないが、ドキュメンタリーを見る国民は少数であり、だからドキュメンタリー放映はまだ許されている。


実感としてだが、国民の8割は社会や政治を考えられないのではないか。

恐ろしい実感である。否定したいが実感なので否定しようもない。


沖縄戦では民間人が女子どもを含め沢山犠牲になったのは周知の事実だが、その犠牲者には「同胞」であったにも拘らずに日本軍によって殺された人達も多い。

という事実は憲法を戦前レベルに戻し、国家権力を絶対的なものにしたい支配層にとっては甚だ都合が悪い。


利権目的の他、愛国心をやたら煽って、スポーツを悪用してきたが、実は「同胞」も殺してきたという歴史は、中国、朝鮮半島、東アジアでの夥しい犠牲者同様に、忘れてほしい歴史である。


したがって、今日の沖縄慰霊祭も、まぁ、そんな事もあったかという程度でマスメディアは流すだろう。

そして大多数の国民もそんな感覚に誘導されていく。

 

衆愚、という言葉は嫌いだったが、事実として存在し、国民レベルでの衆愚となれば、為政者や財界は欣喜雀躍。

なぜ衆愚が「普通」となったか。
奴隷工場としての学校とマスメディアが原因である。

 


コロナ禍の下、学校の姿はやはり「狂気」渦巻く世界である。

授業時間数確保という大目的のために「遅れた」時間数確保をなりふり構わず実行している。6時間授業どころか、7時間授業を設定し、土曜も授業。オマケに塾。

 

学習の遅れ?
何を基準に。
馬鹿げた教育課程の為である。授業時数から授業内容まで縛る。

 

今日のネット記事にも出ていたが、欧米では日本の半数の内容とか。

倍をやらせて、7,5,3 小中高での身についた学習の割合だ。これも実はもっと悲惨な数字だろう。6,3,1 が実感であり、学習が好きか嫌いかの問題となるとほぼ100%が嫌いとなる。

全く悲惨で馬鹿げているとしか言いようのない学校制度である。救いようがない。
毎年約16万5千人以上の不登校児(登校拒否児)を生み出し、相変わらずに自殺児童を出し、非行児童を生み出す学校とはなんだ。オマケに学習嫌い100%。オマケ、じゃなかった。学習にウンザリする児童が圧倒的に多くなる結果としての、イジメや非行、不登校が生まれるのだ。今まで書いてきた通りである。

 


長々と学校について書いたが、衆愚生産装置、工場と見れば、これは日本を操る連中にとって大成功なのである。

 

前に、前川喜平氏らのゆとり教育を支持するような文章を書いたが、そのゆとり教育がどう展開かが重要であった。しかし、前川喜平氏も学習権の保証と主張した事は、旧弊のママである。

 

結論としては学校制度そのものをひっくり返すしか日本の未来はない。

しかし、一方の雄、マスメディアは政権や財界の提灯なので、学校制度をひっくり返すなど、マスメディアには考えられない。政党でも考えていない。


沖縄慰霊の日。

実は文科省支配下にある、沖縄の教育行政、教育委員会も同様である。「本土」システムそのままに沖縄の子どもを破壊し続けている。


沖縄に本当に必要な事の1つは、沖縄に自分たちの教育を取り戻す事だ。文科省から送り込まれた役人を追い出すしかない。独自性を取り戻さないと、「本土」並みの悲惨が生まれる。いや、既に「本土」より深刻か?


慰霊、それは同じ愚を、悲惨を繰り返さない事だ。もちろん安倍政権にはそんな考えは微塵もない。したがって「本土」は、もしかすると、このコロナ禍と大地震で沖縄より早く破綻するか。それはそれで日本人にはふさわしいのかもな。