しまちゃんについては殆ど知らない。名前さえ知らない。ただ、しまちゃん、である。
数年前に大阪起点に奈良によく旅行に行ったものだが、その大阪のスナックで、数度顔を合わせたくらいである。
スナック?
そう、酒を飲まない私がスナックとは私を知る人には意外だろうが、友人との付き合いで行くのである。ビール1杯で十分な男なので店にとっては良い客ではないが、こちらは十分酔うのである。
友人は酒が強い。
酔うほどに彼の様々な知見が吹き出し、朝鮮半島と日本、それも縄文時代まで遡り、実に楽しいのである。こういう男は滅多にいるものではない。大阪に行く度の恒例となった。
そんな席にしまちゃんがちょこんと座っていた。
背が低く短足胴長、顔はポパイで浅黒く、髪もボサボサ。お世辞にも女性にモテる様子ではないが、スナックのママに大事にされているのか、しょっちゅう店に来るらしい。そこで気分が高揚すると次のスナックに行き、そこは若い娘たちが居て楽しむのである。
カラオケが好きでよくマイクを握ってダミ声で演歌を歌う、人の良い男であった。大阪の大メーカーに高卒で定年まで勤め上げた男で、それが自慢の1つだった。話が合うとかではない。彼の素朴な内容の話や話しぶりが私には好感が持てたのだった。この店は時事問題などが普通に話題となり、しまちゃんも果敢に自説を披露する。相当ズレているが、誰も非難はしない。件の友人もニコニコ適当に相槌をうちながら、彼の自説を時折修正しようと試みるが、無駄である。しまちゃんは頑固なのである。
彼は独身だった。
係累もいるか居ないかの状態。
退職しても一人暮らしだったが、こうしてスナックでカラオケを歌い、賑やかに話を弾ませて気を吐くと次のスナックで女の娘にタカられて彼の夜は終わる。
なけなしのカネで風俗遊び。
それを笑う向きも居たが、誰にも迷惑はかけていない。彼には女性はそのようにしてしか近づけない存在だったのだ。
そんな彼が癌で死んだ。まだ60半ばだった。危篤の知らせで駆けつけると呼吸器をつけられ唸っていた。俺を覚えてるかと耳元で私の名を言うと、心なし頷いた。病院に案内してくれたママの話では親族は誰も来ないという。居るか居ないかも分からん。姿勢が苦しそうなので足の位置を直してやった。
そんな数年前の記憶がふと浮かんできた。朝方の強い雨が小降りになっている。鳥の声も出てきた。門柱の上の狸の置物の巣箱にはシジュウカラの夫婦がせっせと餌を与えに飛び交う。雨のせいで警戒すべきハチもいない。巣立ちは近い。