pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想6

 

 

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夢 三


 宇宙の漆黒の闇の中に眠る僕の脳裏にひとひらの花びらが舞い降りてきた。それは始め一つの小さな光の粒と見え、次にはおびただしく一筋の川の流れと見え、やがていく筋も大河のように流れるとみると、ゆっくりと回転しながら花は無数に数を増しつつ大きな渦のように流れ始めた。銀河のように。馬酔木の花が梅や桜の花に変わり、辛夷や椿、水仙、大待雪草や水仙の花、二人静や仏の座・・・様々な花々が目まぐるしく入れ替わると見るや交じり合い、舞いながら一つの流れのように輝き始めたのだった。そんな花々の輝きと芳香の中に浮かんでは消えていく誰かの面影の数々・・・時間も空間もそんな花の渦の輝きの中で直進するかのように見えながら螺旋を描き、また、遡行し融け合っていく。宇宙という無辺の海のなかで・・・

 雲の端より突如あらわれた月光の舟に招かれて、二上山の天との昏い境に消えていったひとは、かぐや姫だったかと僕は思った。むかし、お父さんに寝物語で聞いたお話が浮かんだ。物語の始めの竹取物語に生まれたかぐや姫は帝さえ触れることもならぬ天上の姫君、美神であった。それはこの世の男たちの、憧れと苦悩の始まりの物語、いや、それだけではない、彼女を慈しみ育てた翁や嫗の悲しみの始まりの物語でもあったはずだ。

 あの満月の光の舟は来迎する阿弥陀仏だった・・・一心に極楽浄土を夢見み阿弥陀仏の来迎を願った中将姫が当麻寺で蓮の糸で織り上げた曼荼羅は彼女の誓願の験であった。僕は中将姫もまた光の舟にふさわしいと思った。美は祈り、憧れも祈り。二上山に眠る大津皇子はどうご覧になられたであろうか。

 五言臨終一絶           大津皇子                  

金鳥臨西舎    陽が西舎に臨む時
鼓声催短命    時を告げる大鼓の音が短命を促す
泉路無賓主    死出の旅に客はいない
此夕離家向    夕に家を離れて彼岸に向かうのみ

 このような清らかなしかし泰然自若の詩を残して去った彼は、早過ぎる己が非業の死にただ端然と向き合うのみだった。そんな彼も一方その若さの情熱と知性で石川郎女との純愛を歌っていた。


            
   あしひきの山のしづくに妹待つと
          われ立ち濡れぬ山のしづくに 
                   大津皇子

  
   我を待つと君が濡れけむあしひきの
          山のしづくにならましものを
                   石川郎女

 その恋は苦悩であり、祈りだった。山の草露のしずくの一滴に、言の葉の一葉々々に込められた万感の愛だった。このそれぞれの歌の「に」「を」の一音の響きをどう聴くのだろう。この言葉の持つ意味は多様どころかすべてを包む。これは古代の奇跡だと僕は思った。その、言葉の奇跡である和歌と呼ばれていた言葉は互いに共鳴し共振していたのだ。あたかも宇宙の星のように。そぞろにものを思いつづける僕の耳に、一人の女性の声が、もはや海のごとくに広がった銀河の花の渦の中から聞こえてきた。かぐや姫が風に触れる鈴蘭のような声で静かに僕に語りかけてくる。


「あなたに小侍従と呼ばれた歌人が語りかけてくるでしょう。また、あなたの心に触れる方々も折々おなじように顕れて・・・」

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