先週の木曜に定例句会があった。
秋の声森の社に夫婦鯉 夏生
十月や障子のやぶれをはりもせず 夏生
秋の雲覆いかぶさる日和田山 撫子
カーテンを開けて九月の空仰ぐ 撫子
秋口の気圧にからまるわが心臓 波風
ガチャガチャの勢いうれし夕餉どき 波風
子と分けし家族写真や秋桜 花眼
中秋の月に遊びぬハチとナナ 巴琴
曼殊沙華咲く庭の隅ハチ眠る 巴琴
以上
一伸さん2句花眼さん1句が次回持越しです。
手直ししていただくと素晴らしい句になる予感がしたのです。このように持越す例は本会では普通です。なにせ投票などせず句作を楽しむことが目的です。
俳句について
本会会員の5名の方々が当市の文芸誌への投稿をカフェママに勧められて提出なさいましたが(私は拒否)、その後俳句担当者より「俳号に姓をつけてください」とかなり強硬な指示が出たようです。ママさんは私の一存ではと拒否なさったようですが相談がきました。なんでも姓もつけるのが由緒ある句会の姿とかで、電話でママさんよりお聞きして思わず笑ってしまいました。旧弊、固陋というより異常な発想です。市の発行する文芸誌なので投稿も表現も自由。出さないで正解^^アホくさ。
俳号についても雅号などと同じで歴史的由来があることは知ってますが、正直どのように俳号をつけようがカラスなのです。
更に言えば、歴史的仮名遣いを強制してくることもカラスの論外です。
そういえば季語の問題について知人よりお話がありました。
オレンジの織物残し金木犀
本当は敷物を絨毯にしたいが絨毯は冬の季語らしいのでと「織物」になさったようです。
さて無学な私には絨毯という言葉自体が季語とは驚いた次第です。絨毯は冬、暖かいので冬の季語?夏は室内の冷気が逃げるのを抑えますから夏の季語でもありうる。
どこぞの俳句界の重鎮がお決めになったかどうかも知りません。電気カーペットならわかります。
なにか手あたり次第に季語にするのではと恐怖を覚えるほどです。
偉そうに姓をつけろとか歴史的仮名遣いの強制とか。すでに季語でさえこのように無様なでっち上げが俳句界の混乱と見えます。
10月01日 10:29
先程、市の担当に電話で善処を依頼しました。俳句欄担当者に投稿者への虚偽の強要が疑われるという事で。
10月01日 13:15
いま、市役所担当から電話あり、姓も加えるというのは募集要項にも記載なく、応募者の提出した俳号のみと調整したと。一件落着。