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炎天の卵抱く鳩静かなり 淡雪
木漏れ日を受けし夫の背曲がりおり 淡雪
夏は透くハンガリー舞曲佳境かな 夏生
夏の夢指揮者の踊るクラシック 夏生
梅雨明け黒きアゲハのあわてよう 夏生
雷走る遠くかすかに救急車 陽清
手入れよき畑の隅やカンナ燃ゆ 陽清
夏帽子目深に今日の散歩道 陽清
芳香を庭に満たすや月下美人 巴琴
地上にて命の限り蝉しぐれ 巴琴
炎天の卵抱く鳩静かなり
「ベランダの脇の木に鳩が巣を作りました。親鳩はなにがあっても動きません」
そんな親鳩の姿・・・子どもたちにも伝えたいですね。命への深い感動を覚えます。
木漏れ日を受けし夫の背曲がりおり
木漏れ日、を季語と取るかどうかという問題がでました。私個人の素人意見ですが、これは季語だからよし、季語でないからダメという形式主義俳句界には愛想が尽きます。季節を感じられれば十分と思うのです。この句では木漏れ日が十分に読む者の季節感を喚起します。現在の句と読めば夏の目映い揺れる木漏れ日を背に受けるご主人へのやさしい眼差しが美しい。「おり」とは存在の意味。実存も感じますから。
夏は透くハンガリー舞曲佳境かな
まことに作者らしい「佳境かな」の感動。そう描写する以外にない感動。夏の透明感あふれる世界に「ハンガリー舞曲」の哀愁と躍動が響きます。
夏の夢指揮者の踊るクラシック
この句も更に作者らしい元気溢れる作品ですね。コンサートで「いくらでも俳句ができました!」と仰る。そう「感動」は創作のエネルギーです。しかもこの句の愉しさは比類ない。眼に浮かぶコンサート会場です。真夏の夜の夢まで想起してしまいます。
梅雨明け黒きアゲハのあわてよう
「あわてよう」が素晴らしいですね。やっと夏になったぞと元気に飛び回る黒アゲハの様子がユーモラスに目に映ります。作者の以前詠まれた句にクモの巣のクモを描いた句が思い出されましたが。作者は生き生きとした生き物の一瞬を捉えて楽しませてくれます。
雷走る遠くかすかに救急車
自然の大きなスケールの句。雷鳴雷光の下、救急車が走る。命の救急のために。懸命に。人為の儚さと健気さを大自然に詠んだ素晴らしい句ですね。
手入れよき畑の隅やカンナ燃ゆ
カンナ・・・私たち世代までは子どもの頃の田舎の夏の風景としてカンナは欠かせません。「田園 將に蕪れなんとす 胡(なん)ぞ歸らざる」という陶淵明の名詩の逆を行って「手入れよき」と平和で美しく保たれた身近な風景を描いていらっしゃいます。「燃ゆ」とは命そのもの。
夏帽子目深に今日の散歩道
作者らしい練達の景。「目深に」で決まりました。何気ない日常に、さりげなく日常の生き生きとした作者の姿が感じられます。いいですね!
芳香を庭に満たすや月下美人
なにせ一夜にして咲き終わる儚くも豪華極まりない花。おお蕾が膨らんできたな。今夜咲くかな。なんて思いながら眠ってしまい見そびれることも。しかしその夜は外に出ていたモン太郎が入れてくれと居間の網戸をガリガリ。開けた途端に月下美人の芳香が居間にまで流れてきました。
地上にて命の限り蝉しぐれ
そのままの句。今夏は蝉の鳴き声が遅いなと思っていたら無事に聞こえてきました。何年もの地中の暮らしから晴れて地上へ。蝉の鳴き声なんぞウルサイ!なんて連中は無視。
今回の句会は21日が定例ですが、私のパソコントラブルで纏めが遅れました。申し訳ありません。