pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

世界は私の表象である


 


     「世界は私の表象である」


ドイツの19世紀の哲学者ショーペンハウアーの言葉です。

簡単に言えば、自分が「世界」だと思っているのは、自分がそう思っているものでしかない、ということかな。または、私が世界そのものだ、ということ。
 客観的な「世界」が全てじゃない。自分のとらえた「世界」もあり、君が見る世界も、その二つが混在している。

だから、耐えられないところに我慢して行く必要など全くない。登校拒否を繰り返すことは君にとって大事なんだよ。不登校じゃない。君(たち)は登校することを「拒否」しているんだ。拒否とは明確な意思表現だ。

言葉で誤魔化すのが大人の悪いところで、不登校と呼ぶと大人は安心する。それは「なんとなく登校しない」という意味が強くなり、本来の姿を単純化してしまう。

拒否、と使われちゃうと大人はドキッとして自分らの責任を追及されてんじゃないのかと恐れるからね。

自殺という言葉も同じ。
自死といえば幾分安心する。

虐めだって、カタカナで「イジメ」が多い使われ方だな。漢字で書くと虐待の意味が明確になるからな。カタカナ書きだとイメージが軽くなる。ごまかしだよね。

大人って君は学校でも保護所でもよく見つめただろうが、ほんと酷いのが多い。感心するくらいね。貴様ら人間か!と思うようなのがね。

言葉って絶対的に重要だ。
当たり前、言葉が人間なのだから。

君は君なりの言葉を持っているはずだが、その範囲が君の「世界」の全てなのだから。

そんな世界に何も自分を傷つけてまで行く義理などない。
学校とは学ぶ場所。
それ以外の価値などない。
だから、こんなところで学べない!となれば登校する意味がなくなる。
いや、卒業証書が・・・と心配か?
安心しな、中学までは卒業証書は出す。

その代わり、気分が落ち着いたら自分なりに学んでいってほしい。それはいくらでも可能だ。そのことなら私も相談に乗れる。実を言えば私も自学自習でやってきた人間だから言えるのさ。登校拒否はしなかったが、怠け者で授業についていけず、自分でやるしかなかったのさ。

あ、TVは見ないように。アホになる最短コース。
あとラインなどの中毒ね。依存症と言っても良いが、利用時間を自分で制限できないとね。

それは寂しい?
だろうな。

「孤独は、幸福と平静な気持ちの、源泉であるから、孤独に耐える修行をすることを、若いころの主要な研究科目のひとつとすべきであろう」

「人間は、独りでいる間だけが自由である」

この言葉もショーペンハウアーの言葉です。
なぜそう言えるのかって?

だって、君を虐めた連中を見りゃわかるだろ。
つるんでるだけ。寂しいからつるむ。徒党を組む。孤独に耐えられない空っぽな連中さ。頭と根性の悪い顔して卑怯で幼稚だろ?
こうなっちゃ終わりってな連中だ。
逆に考えたら、自由って辛い。孤独なんだから。つるんでたいなら自由は要らない。

なに?
大人も同じ?
アハハ!
同じです。

「人間を堕落に導くもっとも大きな悪魔は、自分自身を嫌う心である」

この言葉はショーペンハウアーと同じドイツの19世紀の文豪ゲーテの言葉です。
これはすごい言葉です。

虐めをやってる連中、あるいは悪党。子どもも大人も、実は心の奥、無意識の中に自分への嫌悪あるいは憎悪が隠れているという洞察。
自分を嫌うってことは、つまり愛されて育ってなかったってこと。自分が否定されてばかり・・・なんか可哀想。
だよな・・・

「 ただ、ひたすら 自分が正しいと思う 道を歩けばいい 他人がどのような 道を歩こうと、気にしてはいけない」

同じくゲーテ
そりゃそうさ、「世界は私の表象である」、つまり世界は君の世界でしかないんだから。その君でしかない「世界」に、将来必ず、君を絶対に必要とする人が、あるいは仕事が現れてくるはずだ。そんな人が現れてくる前に自分の心身を鍛えておかないとね。十分応えられるように。

長くなるといけないから、最後にまたゲーテの言葉を贈ります。

「人間は努力している間は悩むものだ」
「君は本気で生きてるか?」


じゃあな、今度会う機会がもしあったら、また暑いさなかにコートなんぞかぶってくるなよ。そんなこと全く気にするなよ。少なくとも俺の前ではな。


 

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