pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

教育及び教育虐待について


百人集まれば百通りの教育論がある。

その上で自分の狭い経験からの考えを述べる。


教育とは自分を豊かに育てる事。
文科省が提示する「生きる力」という標語が端的に示すように、日本人は弱くなった。

日本人の子どもは本当に弱くなったか?

違う。
本来子どもは古今東西同じである。環境が違うだけだ。
好奇心に溢れ、眠る直前まで遊び倒す。心のミルクは愛情である。

その好奇心を育て危険因子を環境から排除し、できる作業を手伝いとして与え、愛情を注ぐ。それが教育である。

好奇心を育てるという事、それは放任が重要である。監視のない世界、町や川や森や野原が子どもを育ててくれる。ある程度の年齢で仲間も必要になる。そこには自然と社会がある。遊びとは自然と社会(仲間)との関係性である。手伝いも重要となる。。

学校は、その延長線としての機能を持たなければならない。学習は子どもがその自然と社会の認知的な結びつきの発展であり、それが実現していれば、学校は子どもの好奇心をどんどん高めて行けるだろう。中学校以後はそんな学習の知識的認知的高度化の段階である。従って、中学校以後は子どもの適性が重要となる。学問へ進むか実学へ進むかである。子ども自らの判断で選択するべきである。

その中学校以後高校まではリベラルアーツと呼ばれる教養課程が組まれるべきである。知的好奇心は内面を充実させ対社会性を向上させる。大学はそのリベラルアーツのさらなる深化と専門学修である。


こう考えると、現状はことごとく反教育的であり、子どもらはその暴虐に耐えているのである。

まず自然は取り上げられ、町は危険世界と化し、子どもは家庭と学校、塾の間を彷徨うのみ。好奇心は潰され、点数や偏差値だけが価値基準となる。早い子どもは幼稚園段階から、高校まで。精神が病んだり壊れても当たり前だ。
大企業のお偉いさんが幼児パブ?でおしゃぶり咥えている話を昔聞いたことがあるが当時は変態オヤジとしか理解してなかったが、本質はそのゆがんだ幼児性である。

もちろん、そんな子どもは昔から存在していた。親の命令である。親は自分の欲望を子どもに、押し付けて無自覚。教育虐待という理解がようやく社会に表れてきた。立派な虐待である。実は精神的子殺しなのだ。おそらく熊沢は心身両方をやってのけたのだ。
救う方法は一つ、そんな親から子どもを隔離する他はない。


そんな親が激増してきた。その結果、学校に塾や予備校の講師が招かれ教員や子どもに講義するという笑い話にもならぬ事態が起きている。

「国語の好きな人、手を挙げて」

高校で、新入生を迎える度に始めにこんな質問をしていたが、結果はほぼ全滅であった。いわゆる底辺校から進学校まで同じである。
この実態は全国さして変わらぬだろう。子どもは早ければ幼児の段階から好奇心を潰されていくのである。
虐待以外の何物でもない。

実に恐るべき事であると、私は思う。
知的好奇心を失い自然や社会性に欠けて愛情のミルク抜きの干乾びた子ども時代を経た大人は幼児的であり、精神的歪みを持ち、その幼児的大人は普通に存在し、幼児的老人となる。すなわち幼児的日本。熊沢や熊沢をヨイショする連中も同様であり、安倍一派も同様。新幹線殺人を犯したあの若者はおそらく自分を殺したかったのだろう。それで一生刑務所の暮らしを選んだ。殺人を犯して平然たる者は自分が無いのだ。


ルーマニアの思想家シオランを再び引用する。


「私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは国語だ」
            『告白と呪詛』

この言葉を誤解する向きもあるので、付け加えて言うが、シオランはフランスに移住し、終生フランス語で著述した。祖国の苦しみも異邦人としての苦しみ味わっただろう。彼の悲観主義虚無主義にはそんな悲哀を感じるが、この引用文における国語とは、愛国者の言う国語ではない。人間の存在条件としての国語という普遍性のある文だ。自分なりの「国語」。日本に住む日本人が日本語を持つのは在日外国人が日本語を持つのと同様に日本語が自分のアイディンテティなのだ。

日本語≒国語としての人間にとって、国語が嫌いだという意味の深刻さは悲劇である。

教育がアイディンテティ完成を目指すものであるならば、日本に教育は無い。従って、現状のこの国に期待など不可能なのである。私が時々亡者の国というのはそんな意味である。


ただ、一つだけ救いを言うと、知人の娘さん、勉強はもちろん好きではない。で、今春3流高校に入った。勉強は好きではないが、負けん気があるのか実は好きだったのか成績は優秀となったが、生徒指導のやかましい学校で彼女の髪の先がやや赤毛なので切れと言われ抵抗。一室に缶詰となり7人の教員が入れ代わり立ち代わり彼女への指導に来た。彼女は嫌ですを通した。3流高校ながら彼女は成績優秀なので大学を薦められたが、別に行きたい所があると、今のところ拒否。
親御さんもそんな娘を全面的に応援している。


写真 散歩道

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