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まことに気持ちの悪い、吐き気を催すような彼への同情論がネットに溢れている。
理屈が付けば子殺しにも同情する心性とは不気味過ぎる。
すなわち、極論すれば理屈をつければ殺人も良しとする事だ。
その延長、究極にあるのが戦争だからだ。
もちろん彼への情状酌量もあるだろう。
しかし、かの家族を殆ど知らずして、簡略な報道、しかも恣意的な報道もままある中での軽率な同情論は不気味過ぎる。
親によって殺された子どもの立場。
被告は理屈を述べるに雄弁であろう。保身一直線の人生。子どもには一切抗議出来る機会は失われた。
他人に被害を与えるから?
屁理屈である。
人を殺すというのは常軌を逸し、狂気を持たなければ出来ない。
この国は長らく子どもを軽視し差別し、支配してきた。
カネしか頭にない大人たち。
愚劣以下であろう。
子育ても同様になっている親が溢れて受験産業の餌食と化している。
なにせ文科省がベネッセと組む時代。利権さえあれば良し。
子どもら一人ひとりに端末を与えるという愚劣も同様。利権である。小学生だけで数百万台売れる訳だ。
学校や教員からの要望ではないという事に注意すべきだ。
少し前になるが、イジメ記録の用紙の裏側を印刷したものを子どもらに配ってしまって問題となったが、それほど現場は困窮している。端末どころではない。
統廃合も然り。
昔は子ども一人居ても学校は存続させていた。今では純粋にカネを浮かせるための統廃合が当たり前になったが、一方で端末とは異常とは思わぬか。
もちろん以前から述べている子どもの自殺問題、子どもの凄まじい貧困、学校の異常な詰め込み教育と過密スケジュール。
何も語らぬ自民党、野党。
私はそんな政治に絶望するのみだ。
熊沢被告の例はそんな子どもらの犠牲の上に立つ。
子殺しを忖度する人々。
私には熊沢同様の狂気を感じるのみ。
それは日本の狂気でもある。