pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

娘は戦場で生まれた For Sama

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www.transformer.co.jp


「娘は戦場で生まれた For Sama」


死者数十万人。
泥沼化する戦地シリアで、いま何が起こっているのか――?

ジャーナリストに憧れる学生ワアドは、デモ運動への参加をきっかけにスマホでの撮影を始める。しかし、平和を願う彼女の想いとは裏腹に、内戦は激化の一途を辿り、独裁政権により美しかった都市は破壊されていく。そんな中、ワアドは医師を目指す若者ハムザと出会う。彼は仲間たちと廃墟の中に病院を設け、日々繰り返される空爆の犠牲者の治療にあたっていたが、多くは血まみれの床の上で命を落としていく。非情な世界の中で、二人は夫婦となり、彼らの間に新しい命が誕生する。彼女は自由と平和への願いを込めて、アラビア語で“空”を意味する“サマ”と名付けられた。幸せもつかの間、政府側の攻撃は激しさを増していき、ハムザの病院は街で最後の医療機関となる。明日をも知れぬ身で母となったワアドは家族や愛すべき人々の生きた証を映像として残すことを心に誓うのだった。すべては娘のために――

http://www.transformer.co.jp/m/forsama/


昨日、イメージフォーラムで観た。

シリア内戦において日本では処刑された湯川遥菜、後藤健二両氏他、取材中の安田純平氏は拘束されたのち解放、山本美香氏は殺害されたので内戦は日本でも周知された。しかし、彼らの行動については「自己責任」という言葉でのパッシングが余りにも酷かった。余計なことはするな、迷惑だという意識が小泉の広めたその言葉に煽られて溢れた。


社会的責任は職務上の責任や義務と同義語であり、犠牲となったジャーナリストの人たちに浴びせるのは甚だしい無知なのだが、とにかく被害者叩きの好きな連中はその無知と卑しさゆえに批判されるべきである。同時にその無知と卑しさに便乗した安部政権とマスコミたちは罪が重い。


さて、本題、このドキュメンタリー映画を撮影したのはワアドというアレッポ大学卒の「頑固」な娘だったという。6年間の内戦の記録を爆撃におびえながら、身の回りの撮影により記録として残し発信することの正義を信じた。医師として必死に治療にあたる夫ハムザの共感と応援とともにだ。


したがってドキュメンタリーとしては最強であろう。去年シリア難民の一部が奴隷的労働に従事しているドキュメンタリー映画『セメントの記憶』を観たが、これは男の側からの告発である。
https://www.sunny-film.com/cementkioku

事実として知らなすぎることが山ほどある私だが、そのアレッポのアサド政権や便乗するロシア空軍のやったことの一つに、アレッポ内の病院空爆が繰り返されたということである。患者負傷者も殺されていく。

ロシア空軍が片っ端から病院に狙いを定めて空爆した事実は重大である。

ワアドやハムザが暮らし治療にあたっていた病院も破壊され臨時病院をハムザが設置するなどするが、政権のアレッポ包囲で食料も尽きていく彼らはついにアレッポを離れる。

まことに異常な内戦である。
相も変わらず資源利権と宗教対立が喧伝されたが、しかしこのアレッポ包囲戦の根底にあるのはアレッポ大学生たちが叫んだ「自由」の問題であろう。いわば「アラブの春」を独裁政権は懼れたのである。

独裁政権独裁国家とはそんなものだ。政権維持のためには平然と大量殺りくも厭わない。この作品ではロシア空軍による空爆が目立った。病院にいるワアドのカメラ画面のすぐ前で爆音とともに壁が吹っ飛び煙が充満する。

なぜ脱出しないのか。
「一番大事なのは理念だから」とワアドは答える。
そんなワアドやハムザに赤ちゃんが舞い降りる。

生後間もない、半睡の赤ちゃんが母の繰り返しの呼びかけでほほ笑むシーンは別格である。ほほ笑むという能力をすでに獲得していたのだ。予告編に出ているのでぜひご覧ください。

そんな事ってありうるのかなと、既にそんな赤ん坊の世界から遠く離れた私には思い出せない。

また凄惨な虐殺で子供らが次々と絶命していく中で、担ぎ込まれた意識のない妊婦から帝王切開で赤ちゃんを取りだす。脈拍なし、呼吸なし。医師たちが懸命に心臓マッサージを行い、あきらめかけた周囲もいた中、最後、赤ちゃんの足首をつかんで逆さに持ち上げて背中をたたき続けるなか治療室に泣き声が響く。

このドキュメンタリーの凄さは撮影者が命がけで6年間内部から撮り続けたということと、もう一つ、女性の、母親の視点から撮ったということである。子を殺され泣きわめき怒り狂う母親が随所に現れる。

「全部撮って!」と叫ぶ。


そんな怒りはすべて政治にぶつけなければならない。
間抜けなエゴイストの男たちに任せていてはいけない。
余談だが日本でも毎年2万人以上が自殺し、小学生でさえ毎年百人ほど自殺しているが、これらもエリート風をふかす残虐で間抜けな男たちに政治を任せていた結果なのである。「内戦」と何が違うのか。知らないことはそれだけで罪である、と誰か言ってたな。知らせないことは更に一番の罪過である。イメージフォーラムではほぼ満席であった。小さな映画館だ。しかし、やや意外だったのは若い人たちが大勢いたということだ。うれしいことである。年寄りが若いのはだめだと決めつけるのは、ある意味扇動に加担していると見做す。





追記、「赤ちゃん工場」というニュースがネットに出てきた。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200307-00000032-jij_afp-int

 

 

最後に、

 

そんな事、私には関係ないと思う人が沢山いるのは承知。

 

ではそんな人に尋ねる。

 

では、あなたにはどんな事が関係あるのか?