pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想9

 

          夢 六


 いつの頃だったでしょうか。おぼろげな記憶の中に一つの物語が浮かんできます。甘い花のかをりをのせた風が吹き渡る中で母のお話下さった物語です。

 

 中将姫・・・遠い天平の御世のその御方の物語に心を奪われたのでございます。
継母にいじめ抜かれながらも幼い頃から仏心篤く祈りを欠かさなかった姫が、ある年のこと、うつつの心も忘れてさ迷い歩くうちに二上山の麓にたどり着きます。二上山に沈んでいく夕陽・・・一瞬のこと山が震えたかのように感じたのは、実は姫の心の震えと幼い私は感じたものでした。ゆっくり悠然と巨きな太陽が血汐のような朱色で世界を染めながら二上山に沈んでいきます。ゆっくり・・・いや、そこでは時の流れも止まり風の音も消えて静寂の底が果てしなく姫を包んだのでした。その瞬間のこと、天上の雅楽をかき鳴らして様々の菩薩が彩雲にのって現れました。そして二上山の端から阿弥陀如来が来迎なさったお姿を姫はお心に刻んだのでした。

 

 中将姫はその後、女人禁制だった当麻寺に特に許しを受け入山し、念仏三昧写経三昧の日々でしたが、ある日みほとけのお告げを受けて、はちすの葉から糸をとり、その糸で綴織當麻曼荼羅を千手堂の中で織り上げたのでした。不思議といえばふしぎ、しかし、ふしぎであることが却ってまことでもあるのでしょう。目に見えるものは見えないものを思い起こさせてくれます。見えないものがまこと。

 

 綴織當麻曼荼羅を織り上げて後、ある満月の夜、姫のお姿は忽然と消えたと人々は申します。御堂の窓から差し込む月明かりに誘われて、戸を開けて外に出た姫は、月の光に包まれたかと見る間もなく、光とともにそのお姿をお消しになられたと・・・

 


 私はいま思い出しております。
のちに竹取物語を読んで、この中将姫はのちのかぐや姫になられたのだと。さらにそのかぐや姫は、源氏物語の中でまねびもされるようになっていきます。ただ、中将姫のご覧になられた二上山のみ仏たち、阿弥陀如来の御姿は後々に宇治平等院鳳凰堂に具現されることとなります。天喜元年のことです。私の生まれる六十八年前のことでございました。宇治平等院の思い出も浮かびます。それは思い出すにも千々に乱れる、つらきことばかりです。

 


 

 

 

 

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