pakin’s blog

主に創作を主体とします。ただし、人権無視の最たる原発問題や、子どもの健康や命を軽んじる時事問題には反応します。

竹取幻想26

 


 

 

 


「いや、それはですな」

 

成清が喋り始めました。この弟、喋り始めるとなかなか終わりません。小さな目を見開いて身ぶり手ぶりも入ってしまいます。

 

「もう何年も前の事でござりまするがな、かの太皇太后多子様が・・・」

 

 成清はまるで自分がそこに居たような口ぶりで、船べりを叩きながら話しだすので乗り合わせた方々、興味津々また面白がって聞き耳を立てます。老いた船頭さんまで漕ぎながら笑っています。

 

「まだ姉様がもうちょい若かった頃、あ、いや、余計なこと、姉様が仕えなされた太皇太后多子様が、ある宵のつれづれのこと、「待つ宵、帰る朝、何れか哀れはまされる」と姉様に仰せられました。姉様、わずかに沈思の後

 

   待つ宵の更け行く鐘の声聞けば
          あかぬわかれの鳥はものかは

 

と、詠まれたそうな。彼の訪れを今かと待つ女人、いまかいまか・・・来ないかも・・・いや、きっと来る・・・じっと待つ女人にすぎゆく時を告げる鐘の音か・・・
 千千に思いも乱れるであろうなあ・・・一方、めでたく想い人と宵を過ごし、いざ帰るべき無情の朝を告げる鳥の声、女人の思いや如何に!さだめとは言え・・・やはり千千に乱れる思いであろう・・・むむ・・・どちらがあはれ優れるか・・・之 は難問!と居並ぶ女房方、ふふ・・恥をかけばよいとか、可哀想にと同情なさる方とか、一同固唾を呑んで見守るなか、す〜っと深く息を吸って後、姉様はこの歌を詠んだそうな!多子様は姉様に歌詠む才の並々ならぬのを見抜いておられたそうな!

「そう、待つ宵の更け行く鐘の声聞けばあかぬわかれの鳥はものかは・・・」

多子様はにっこり微笑まれ朗誦なされたそうな。居並ぶ女房がたも感心しきりであったとかな、それでな、姉様は待宵の小侍従と呼ばれることになったのじゃ」

 

 成清は腹を突き出し、もろ手を挙げて得意満面に話しました。身内にこうも言われてはあまりの恥ずかしさ・・・と、その時私は思い出しました。

 

 多子様は二代の后などと陰で言われ、ほんにお悩みの深い后様であらせられましたが、またお優しいこと類ないほどでした。夫を喪って頼るべき後見もない私が、身の置きどころなく辛い思いを抱いているのをお感じあそばされていらっしゃったのです。それで、あの問いかけを頂いたのでした。そう、思い出しまし た。あの宵は八月の十あまり四日の宵でした・・・待宵の月の夜だったのです。あはれなる宵、待宵の月の影は御庭を照らし半蔀から差し込んでおりました。多子様は御歌こそそれほどなさいませんでしたが、しみじみともののあはれをご理解なされていらっしゃいました。そう、その宵のことを思い出すと懐かしさに涙がこぼれそうになります。兼綱様や康忠殿はこのような弟の他愛もない話を、真剣なお顔でお相手して下さいます。既に此方に向き直られてまっすぐにお話になられます。

 

「いや、なんとお見事!小侍従様。古来より後朝の別れの辛さに鳥の声が使われていたとは聞いておりますが・・・小侍従様は待つ宵の辛さを・・・成清様、良いお話をありがとうございます。拙者、しみじみと感じ入り申した」

 

兼綱様がおっしゃいますと康忠殿も

 

「なるほど!お歌の機知とはそのようなこと!学ばせていただきました!多子様の出題の機知もお見事」
とおっしゃいます。

 

「私の父、頼政もお歌の世界に於いては相当に入れ込んでおります。昔から暇をみてはブツブツと何やらつぶやいているので、如何なされましたと尋ねた事がありました。 父は、うむ、歌をひねり出そうとしているだけだ、と言います。私はまだ和歌なるものに殆ど無知でした。和歌は女人のするものくらいとしか心得ておりませんでしたので、武人として鍛え上げた父にそのような好みがあったのかと、いささか意外であり可笑しくさえ思えたものでございます。」

 

「何を ニヤニヤしておる、兼綱、お前はまだ学問のみで和歌を知らぬようだな。六韜三略などもいいが、我が国の和歌の世界は彼の国にはない独自の世界だ。お前も少しは嗜むが良い」

 

父はそう言って書庫から古びた書を持ってきて私に渡しました。古今和歌集と題字されています。


「これくらいは学んでおけ。漢詩文とは違った趣で深い味わいのあるものじゃ。兼綱、おなごにも好かれようぞ。」そう言って笑います。

「この国に生まれ育って、そのありがたさがよく分かるというものじゃ。武人とはな、無骨の一辺倒では味気ない。文武併せてようやく一人前じゃ」

 

 我が父・・・私は養子の身ではありますが頼政を実の父同様にお慕いしておりまするが、その父の話を聞き、己の無知を恥じ入った次第です。その時以来、私も和歌を学び始めましたが、自ら詠むには未だ至っておりませぬ」

 

 兼綱様はご自身のお話もなさいながら話の輪を広げて下さいました。
舟を漕ぐ櫓の音、前をゆく仲光殿らの舟を漕ぐ波、みどりの草叢・・・あたたかな風がすべて包み込んでくれているように感じます。心のなかにも・・・