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舟がゆっくりと川を進んでいきます。初めての十里ほどの舟の旅に初めはこわごわの私でしたが、廻りの景色やお話の楽しさに怖さも忘れ、舟のゆらりと揺れるのも楽しいほどです。
「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」
そのように白河院が仰せられたとか。この春風駘蕩の川景色の中に居ると、ただひたすらにこころが伸びやかになっていきます。
まこもかる淀の澤水あめふれば
常よりことにまさる我が恋
古今集に載る紀貫之様のお歌です。鴨川の流れはいつしか淀の川となり眺めはさらに大きく広がります。
「ほら、左、山の上、あれが我が社、岩清水八幡様じゃ」
「ほい、右、あれは、山崎の津じゃ、よう賑わっておるのお、ひと時は寂れていたのじゃが清盛公の宋貿易のおかげじゃろう」
成清が騒いでおります。
山崎の津は話には聞いていたものの見るのは初めてです。商いの大小の舟が何隻も行き交い、津にて荷を揚げたり降ろしたり、沢山の男が肌を汗で光らせながら立ち働いております。川沿いには立派な倉や家々が立ち並んでその賑わいぶりが目新しく感じます。
「ああ、姉様、右手、高槻という土地じゃがの、少し小高い山が見えましょうかの、そこに上宮天満宮がござります。道真公をお祭りした天神様で、太宰府の天満宮から勧請されてできたのでございまするが、ここの宮司とは仲がよいのです。さすがに学問にもようく励んでおります。」
成清もうよい、そう思いながらも景色は美しく楽しく、川面に影がきらきらと、心が踊ります。
「あの水に光るものは・・」そう尋ねようと呟いた私に
石清水流れにうかぶ鱗(うろくず)の
ひれふり行も見ゆる月影
「岩清水に因んだ父頼政の歌です。今は「月影 」を日のかげと直さねばなりませぬな」
そう兼綱様は微笑んで仰います。
「声をあげて歌うのはまだ未熟。恥ずかしいですが・・・」
兼綱さまが朗々と謳いあげます。おお!頼政様がわが社をお詠い下されたか!成清は喜色満面です。
いえ、いえ、兼綱さま、嬉しく聴かせていただいておりますよ。もう十七年前になりますか、保元の乱れたまつりごとの犠牲となられたあなたのお父上頼行様の元から頼政様が兼綱様を引き取られて、ご立派にお育てになりました。さぞや頼行様も頼政様もご無念だったでしょう。情に篤い頼政様が弟御頼行様の濡れ衣を検非違使庁にてお晴らしになる機会も与えられず、頼行様も恥辱を漱ぐにご自害なされ・・・鬼気迫る形相で耐え忍ぶ頼政様を垣間見て私も密かに涙をぬぐったものでした。いえ、今の兼綱様を浄土の彼方からご覧になられて頼行様はお喜びのはず。そう思いを馳せていた時でした。
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写真 石清水八幡宮